裁判員裁判で検察側証人がマスク着用を求めた。
弁護人として、反対尋問権が制限を受けることを理由に反対し、大方の証人はフェイスシールドで落ち着くも、一部証人が(呼吸器系疾患とは全く異なる基礎疾患を理由に)「不安感」を強調、検察官が悪のりをして「WHO推奨のフェイスシールドもマスクより防疫効果が劣る」という法医学者(!)の意見書を提出。当該証人の出頭を得たい裁判所は阿った。
裁判所の宣わく「反対尋問権の制限は限定的」だそうだ。
限定的であれど制限と認めるなら、それは防御権侵害ということではないのか。たまたまコロナ禍に裁判が開かれるというだけで防御権が限定的であれど制限される理由になるのだろうか(火箸で裁判記録をつまみ上げた例の出来事から、裁判所は何も進歩も反省もしていないのではないか)と考えさせられる。

もう一つ。
これは聞いた話だが、近時の裁判員裁判で、弁護人・被告人・弁護人の並び順による着席を「戒護上の支障」により禁止する訴訟指揮が行われたそうだ(名古屋地裁刑事3部)。
その日の審理内容次第で、(前から)被告人・弁護人・弁護人で座ろうと、弁護人・被告人・弁護人で座ろうと、弁護人・弁護人・被告人で座ろうと、当事者主義に基づき防御主体である被告人が弁護人と協議し決定することであり、いずれであろうと戒護上の違いなど思い当たらない(折しも、私が担当している別の裁判所の裁判員裁判では、僅か2日間のうちに上記並び順を全部、経験した)。
どこかしらの勢力が強く言うと阿る裁判体に当たったのが不運だったのだろう。

裁判が被告人の方を向いていない場合、それ一つが直ちに結論を誤らせる決定打になるという論証は難しくても、やはり手続的に不正義であると言うべきだろう。裁判所お得意の「かもしれない」的な議論でいえば、一つ一つの手続的な不正義が、結論を誤らせるかもしれない以上、厳に排すべきである。

(弁護士 金岡)