本欄本年2025年9月18日にて、「無罪が確定しても検察庁は嫌疑を主張できるのか」という記事を掲載した。
先行事件の無罪が確定した後、先行事件の公訴提起時に不起訴処分とされていた後行事件の被疑者補償を請求し、(行政処分風にいうと~私は被疑者補償不支給裁定も行政処分性があると考えているがそれはさておく)無罪確定後を基準時とする裁定が行われる場合に、無罪確定にもかかわらず、先行事件や後行事件の嫌疑の存在を理由として不支給裁定を行うことが許されるのかという問題である。
この問題に関して、名古屋地判が国側の主張を丸呑みにしたどうしようもない判決を出したので控訴し、(後手に回った感はあるが)方々の研究者を訪ねたところ、既判力から考える一派と、検察官の公益代表者性から考える一派があり、最終的に、指宿信教授に意見書を御願いすることが出来た。
もとより意見書の公開は指宿教授の御判断になるので、本欄では差し支えない範囲で意見書のあらましを紹介したい。
私なりに大意を要約すると、意見書は次のような構成である。
1.確定無罪を否定するような言動(無罪判決を得た個人の地位を脅かすような言動)について、国内の研究は全く立ち後れている。米国法では、直接的な法的規制というよりも倫理的に規制され得る。欧州領域ではより直接性の強い法的規制がある。
2.欧州では、欧州人権裁判所が、複数の誤判に対する補償を求める裁判で、無罪確定後も合理的な疑いは解消されていないとする国側の主張が退けられ、無罪に疑念を投げかける言動も推定無罪原則(人権条約6条2項)違反となる等とされている。
ドイツ憲法裁判所も、裁判手続打ち切り後に(裁判官が)「有罪を暗示する」発言を禁じた。
日本でも推定無罪原則は確立しているのだから同様の法的規制があると解することが出来るはずである。
3.米国では検察官の倫理規範の議論が発展しており、「正義を司る者」としての検察官に対しバーガー判決が示した「検察官は独特かつ極めて明確な意味において法の僕であり、法の二重の目的は、有罪者が逃れず、無実の者が苦しむことのないようにすることにある。」との規範論が基軸とされている。更に、ABAの模範倫理規程が、有罪獲得断念後に検察官が「有罪をほのめかしたり、被害者、証人、または捜査対象者の利益を損なったりしないよう注意を払わなければならない。」義務を負うとしていることに着目すべきである。
日本では、検察官倫理の研究すらも立ち後れているが、郵便不正事件をきっかけとして検察官の理念が制定され、その流れの中に志布志国賠や松橋再審国賠の裁判例が登場しており、同様の議論が可能なはずである。
恥を忍んで言えば、これくらいの議論をきちんと調査の上で提訴すべきだった、と反省しなければならない。無論、志布志国賠や松橋再審国賠の裁判例は百も承知だが、より深い議論のため海外に目を向ける(少なくとも国際法に明るい先賢に相談する)くらいのことは出来たはずである。
指宿教授の意見書では、バーガー判決が、「上訴状において弁護士が、公正な刑事手続と冤罪防止に対する法の責務を儀式的な呪文のように唱える際に引用する」と紹介されている(米国の検察官倫理研究の第一人者であるゲルシュマン教授の言葉とのこと)。
反省を込めて、紹介させて頂いた次第である。
(弁護士 金岡)

















