ここ数ヶ月、検察官請求証拠の必要性を中心とした整理ばかりが延々と続き、犯人性を争うものの犯人性に関する尋問一つ行われない(被告人質問を含む)まま次回結審するような事案があるとして、さて結審から論告までにどれくらい必要か?ということについて、検察官の要求は7週間!である。絶句するほどの時代錯誤だ。

裁判員裁判なら、つい先日まで尋問をばりばりやっていても、即時論告、弁論を要求される。それが良いことかどうかは別にして、やれと言われるから検察官もやっている。それは万人の知るところである。

事情があり身体拘束中だということもあり、当方は結審して1週間あれば十分でしょ、という立場であるが、検察官は譲らない。譲らない事情は、4月の人事異動、後任が起案するのに無責任な日程を入れるわけにはいかないという一点張りである。証拠調べの終了予定日から3月末まで10日もあるんだから3月末までにやっていけよといっても頑として拒否する。
裁判所に「裁判員事件なら即日もの」「裁判員様はお待たせしてはならないが、被告人なら幾ら捕まえておいても構わないというのは了見が違う」「不合理な差し支えはきちんと咎めるべきだ」と要求するも、裁判所は裁判所で、ふにゃふにゃという。要は、4月に構成が変わり新任が担当になるから、担当が記録を読み込んでからの論告がいいなぁと平然というのだ。

こういう異常な業界慣行が、身体拘束されている依頼者の前で平然と論じられるということは、自戒を込めて言えばそれに甘えている弁護士層も含めて、反省していかなければならないところである。
「人事異動があるので、ちょっと1ヶ月半ほど裁判を遅らせますね」などと、身体拘束されている人の前で口にする時点で、感受性というか神経が麻痺していることに、検察官、裁判官は気づかないのだろうか?気付けないのだとすれば、もう病んでいると言って差し支えない。
依頼者に聞くと「辛いです」という。それならば弁護人が折れるわけにはいかない。30分近く、この件で法廷での言い合いが続き・・(裁判所は必死に、「なぜ裁判員裁判だと即日論告が可能なのに通常事件はそうではないか」を説明しようとしていたが、残念ながら初めて聞く外国語の方がまだ理解できそうな内容に過ぎなかった)結局、裁判所は、論告期日を「追って指定」として逃げ去った(名古屋地裁刑事5部合議係)。

業界慣行のぬるま湯に浸かることは、確かに楽だろう。
「みんなそうしているから正しい」とだけ言っておればよく、思考停止が許される。
しかし、強い権力を持ち合わせている機関は、その権力行使が強度の人権侵害を引き起こすことに思いを致し、常に外からの声に敏感でなければならないはずだ。
(私の性分が、理屈抜きに「皆さん、そうされています」と言われるのは耐えがたいということをおいても、)毅然と糺せなかった裁判所の姿勢は遺憾に尽きる。このような裁判所が、どのような判決を書こうと、依頼者から見れば「どうせあんたらの判決なんてそんなものでしょ」以上の気持ちにはならないだろう。

そういえば先日、原発事故がらみの東京高裁判決に対し、「希望の持てる判決で、びっくりしています」という当事者の声が報道されていた。個人的には法曹界の歴史に残すべき名言だと思ったが、裁判所は、「希望の持てる判決」を書くと「びっくりされる」ということをどう受け止めるのだろうか。

(弁護士 金岡)