最近、立て続けに「腰縄手錠」配慮申し入れを行う機会があった。つまり第1回前に保釈が出ていない事案だということの裏返しでもある(うち1件は事情により請求すらしていないが)。
何れも名古屋地裁刑事第1部、山田耕司裁判長。
「配慮しません」という、にべもない訴訟指揮であった。

両事件とも、無罪主張の事件である。
また、2号法廷(名古屋地裁で2番目に大きい大法廷)も共通。
しかし「配慮しません」。
第一に、無罪推定がある。有罪だから晒されて良い、というわけではないが、推定無罪なのだから、尚更、晒されて良いはずがなかろう。裁判官は、「相当な理由で勾留しているのだから晒して良い」「結果として無罪でも、相当な理由がある現状は有罪前提で良い」という発想なのだろうか。だとすれば理解しかねる。間違っても人権侵害は許されないというおそれはないのだろうか。日々、漫然と裁判官をやっていると感受性が鈍るのだろうか。
第二に、尊厳である。誰しもそういう姿を晒されたくないということは、なにも難しい話ではなかろう(それとも、腰縄手錠で市中引き回しにされないと分からないのだろうか・・もしそうなら、裁判官にその手の研修を実施すべき必要があろう)。であれば、物理的に可能な限り、配慮すれば良い。ましてや広々とした大法廷である。衝立置き放題。簡単なことである。

腰縄手錠繋がりでもう一つ。
名古屋地検の地下の構内接見場所が、動線の工夫がされていないために、腰縄手錠の人と出くわしてしまうことは、本欄で過去にも取り上げているが、複数の依頼者が余りにひどいと述べている。
曰く、食事中も片手錠のままだそうである。手錠を付けられ、椅子から殆ど持ち上げられない方の手に、食べ物を持ち、正しく動物のように(動物を貶める意味ではなく客観的な姿勢として)かぶりつかされているのだそうだ。
「檻の中でも手錠のままですよ」と自嘲している方もいた。留置施設では、格子付きの居室内で手錠は付かない。察するに、移動と移動の狭間の「仮の滞在場所」で、いちいち手錠を外していては、不測の事態もさることながら、要するに手間がかかって面倒なのだろう。尊厳よりも、面倒さを省き、楽に進めるというその性根こそ、人権侵害の最たるものだと、気付かせなければならないだろう。

無論、いちいち、職員を動かし、衝立をばたばたさせてまで、配慮するなんて面倒だと思っているのかもしれない、上記裁判長の如き手合いも、同じ類いである。

(弁護士 金岡)