北海道警の内部文書を皮切りに各地警察の「取調べ立会」への指導の有り様が白日の下に晒されつつある。
大方は似たり寄ったりだが、石川県警の「取調べ立会」観は、本音で編まれているようだ。一言で言えば「さもしい」という表現がぴったりである。もう一言、足すなら「無理解極まる」というところか。

2021年6月15日付け執務資料「指導だよりNo437」では、あれこれと原則的に認められないことを説明した上で、次のように書かれている。

「最終的に、(立会無しの)説得に応じなければ取調べの実施は困難となるが、警察側から帰宅を促すことは控えることも検討すること。
弁護士は、逮捕の要件に利用されることを防ぐ目的で、任意出頭に応じたにもかかわらず、警察側から帰宅させられたという状況を作るために、警察側からの弁護士の立会いの下での取調べはできないので、帰宅するようにとの発言を待っている場合がある。」

「弁護士は・・・待っている場合がある」という下りに、さもしさが現れている。
被疑者の防御権を全うするために骨身を削り同行している弁護士に対し、「帰宅するようにと言わせるための策略だ」と決めつけたところに畏れ入る。
自分たちの卑しい人格で人の考えを推し量られても困る。

また、逮捕勾留というのは公判の出頭確保のための措置であり、弁護士同行で警察署まで来ているなら、通常、それで十分なのである。出頭同行で十分に身の証が立つという刑訴法の基本構造を理解せず(まあ、どこぞの名古屋高裁も同程度だから宜なるかなではあるけれども)、「帰宅を促さなければ逃亡の蓋然性を立論できる」みたいに言われても、正気を疑うところだ。

まあ、こういう馬鹿馬鹿しいものでも開示させて、議論の足がかりにすることは出来るだろう。(本「指導だより」でも、例外的に立会を認めるべき場合が例示されているのだが、)取調の適正について監視を受ける側に、監視を受けるかどうかの裁量を委ねるなどという(あちらさんの主張による)、立法の不備は明らかだからである。

(弁護士 金岡)