久しぶりに抗告審で保釈をひっくり返され、うんざりしている。
色々とうんざりしているが、(中身について議論せず批判しても意味は無いので結論だけを書くなら)第一にカビの生えた4号事由の決め付け、第二に受訴裁判所の裁量を無視するための揚げ足取りである。

第一の点は、ここ10年(2014年11月の二つの最高裁決定以降)、それなりに進化のあった分野であり、勿論ダメな裁判官は沢山いるけれども、4号事由の実効性や現実味について慎重な検討を加えた裁判例も増えてきた、と観測している。
これに対し今回の抗告審決定は、具体的にどういう罪証隠滅があり得るのかを特定しないことは勿論、それ故にそれが実効的かも、現実的かも、一切お構いなしに、最早「否認しているから当然罪証隠滅するので原則釈放しない」と言わんばかりの決定をしている(名古屋高裁刑事第1部、杉山・後藤・谷口の合議体)。進化を拒むカビの生えた思考過程にはつくづくうんざりである。

さて本題の第二の点である。
受訴裁判所のある抗告審であるから、判例の枠組みに乗っ取り、原決定の裁量逸脱が審理対象となる。ところが周知の通り、依然として当初決定に具体的理由が付されることは極めて珍しい(珍しいけれどもあるにはある。難しい判断と自覚した一部裁判官が積極的に書き込むことが知られている。)。
ここで、原決定の具体的判断理由が不明な場合に、抗告審裁判所はどのように審理すべきだろうか?判例法理に従い、受訴裁判所の裁量判断を尊重する見地からは、仮にひっくり返すことを考える場合、まずは原決定の具体的判断理由を特定すべく、審理過程に於いて原決定裁判官の意見を補充させる等、すべきであろう。
しかし今回の抗告審決定は、「原決定には詳細な理由が付されておらず、原裁判所作成の意見書にも具体的な理由の記載が無い」とわざわざ断り書きをして、想像上の原決定理由を作出し、それを排斥するという自作自演を行っている。これでは判例法理に従った原決定の裁量を尊重することとは程遠い。

勿論、第一の非は、具体的な理由を記載しなかった当初決定側にあろう(検察官の意見に鑑み抗告は当然に予期されていたのだから)。しかし他方で、実務的に殆どの当初決定に具体的な理由が記載されていないことを承知の上で、殊更に具体的な理由の記載が無いことを槍玉に挙げ、その上で、勝手に決定理由を作出するという馬鹿馬鹿しい自作自演を行い、原決定の裁量尊重などどこ吹く風の決定をしている抗告審側も、同程度に批判されるべきである。
ことは人身の自由という高度の人権である。分からないから創作しました、等というのでは裁判に対する真剣度を疑う。

ともあれ、心ある当初許可決定裁判官は、今後、このような空想による排斥のような末路を辿らないで済むよう、当初許可決定か、少なくとも原裁判官意見には、可能な限り詳しく思考過程を明らかにし、裁量逸脱の誹りを受けないよう、工夫すべきだと思われた。

(弁護士 金岡)