【1】
某MLで話題沸騰(かどうかは知らないが少なくとも関心を集めた)の、名古屋地判2022年10月5日である。国賠事案ではあるものの、要するに一方当事者がパトカーであるという単なる交通事故事案であった。
判タ2023年7月号(通巻1508号)掲載。

【2】
さて件名であるが、この事案では、本訴被告である愛知県側のパトカーが赤信号進入にあたり、サイレンを鳴らしていたかが争点の一つであった。サイレンを鳴らしていなければ緊急自動車扱いされないからである。
被疑者でもあった運転手警察官は、事故翌日の実況見分でサイレンを鳴らしていたと主張した。また、パトカーのドラレコには音声ファイルが無かったが、愛知県側は、監察官室配属の警察官にして被告側指定代理人でもあった人物名義の報告書で、「録音機能は使用していなかったので最初から音声ファイルは無い」と主張した。

ところが、裁判所がバイナリデータを確認してデータが「整いすぎている」と疑問視したことから、裁判所に於いて愛知県側に人為的な消去等について釈明を求めたところ、愛知県側はサイレンを鳴らしていなかったと認めるに転じたという。ついでに、提起済みの反訴も取り下げて、0:100を争わない姿勢に転じたという経過である。

裁判所は、判決中で異例にも上記の経緯に言及し、愛知県側の応訴態度を批判して慰謝料の増額事由、更に訴訟費用負担においても考慮した(詳細は判決文に当たられたい)。

判タの解説記事では、愛知県側が「誤った内容の報告書を作成してしまった」等と穏やかに批判しているが、誰がどう考えても、被疑者警察官が自己弁護のために嘘をつき、その後、「愛知県警内部のどこかで、誰かが」音声ファイルを人為的に消去したに決まっているではないか、と思う。追及されないために、100ゼロを認め、反訴も取り下げているが、公金を使った訴訟において、愛知県警の不祥事をもみ消すために、このような逃げを打つことは容認されないだろう(是非、オンブズマンに動いて欲しい)。
というよりも、被疑者警察官を庇うために音声ファイルが消去されている可能性が高いのだから、証拠隠滅罪に該当する出来事であり、許す許さないの次元では無いように思われる(是非、名古屋地検特捜部に動いて欲しい)。
翌日の虚偽主張だけならまだしも、その後の組織的な証拠隠滅行為、そしてそれを隠して情を知らない代理人弁護士をして虚偽の主張を展開させ、更には反訴提起までしていたというのだから恐れ入る(後者は、有利な判決を騙取して原告側に金銭を支払わせようとしたものであるから、概念的に詐欺罪に該当しよう)。またも、捜査機関の証拠改ざん事例が積み重ねられたと言うことで、決して良くないことではあるが、裁判所の見る目を変える上では歴史的意味があると言えようか。

【3】
訴訟関係人に取材すると、前記のとおり、バイナリデータに着目して人為的な消去を言い当てたのは裁判官その人のようである。
私自身、この種の分野には関心を持っているが、いかんせん初歩的な教育すら受けていないため、仮に本件に関わったとして、到底、このようなことは出来なかっただろう(弁護士特約がついていれば費用不安は無いので、専門機関に相談はしたと思うが)。

この点、判タの記事では、「音が周波数の異なる波の重ね合わせであること、中学ないし高校の物理や情報で学習するレベルの知識を使用したものとなり、法律家が有すべき一般教養の範囲といって差し支えない」とされている。
裁判官が言い出すまで、誰も愛知県警の証拠改ざん痕跡に気付けなかったわけであるから、相当高度な注文をされている、という気もするのだが、他方で、基本だよねと言われれば否定は出来ない。本件を紹介した専門機関の技術者曰く、バイナリデータを見たり音声トラックのデータをみたりするのは知識さえあればフリーのツールでも十分できる、情報技術の基礎知識があればネット上に情報は転がっている、ということなので、全くの同意見のようだ。実に楽ではない。

ついでに、くだんの技術者によれば、デジタルデータの取り扱いについては海外には然るべき手順、準則があるという(そういえばかなり以前に教わったような気はする)。証拠法則のぬるい民訴より、厳格な証拠法則のある刑訴で、まず、導入を検討してみれば、ドラレコデータを巡る紛争(まま経験する)も減るに違いない。

(弁護士 金岡)