先日、東京地裁で数年、執務されていた裁判官とお話しをする機会があり、折角なので、東京地裁でのSBM、腰縄手錠はどうですかと尋ねてみた。

すると、真顔で、「この数年、そのような申立を一度も受けなかった」と答えられた。

まあ、SBMも腰縄手錠も、申立事項ではなく、その裁判官の主催する法廷における人権侵害をどうするかという問題であるから、申立がないことをもって裁判官を免責する訳にはいかないのだが(くだんの裁判官の発言は、ひょっとすると「保釈に積極的なのでそう言う局面が来ない」という意味かもしれないけれども、身柄事件が0件ということは流石にあるまい)、裁判所側では「当事者がそれで良いと言っているのだからしょうがないよね」という言い訳を得ることになるし、そのような法廷が更に当たり前のものとして更に定着していくことは必然であるから、非は弁護士側にあろう。

東京地方の被疑者さん達は、百人が百人とも、腰縄手錠を晒されることを受け入れているのだろうか。また、拘置所職員に脇を固められて、頼みの弁護人と話そうにも、相当窮屈なので、なかなか思い切って振り向きづらい環境に不自由を感じないのだろうか(SBMや腰縄手錠に問題意識の乏しい弁護人が、頼みの綱と思って貰えていない可能性も大いにある)。

「御白州席」が既に根絶したように、これは意識の持ちようである。
意識の持ちようは、意識的に変えようとしなければ、変わらない。
潜在意識の相当割合を占める東京地方で、こういう事態だということは、憂うべきことである。