刑事司法実務の話題を期待する向きには恐縮だが、その源泉たる憲法の人権規範や手続保障の危機を感じるので、思うところを書いておきたい。

現政権は、僅かでも法的素養を持ち合わせていれば踏み越えようがない領域を易々と踏み越えようとしている、と感じる。一言で纏めれば、異論を許さない全体主義的傾向を急速に強めていると表現でき、法律家として座視するに堪えない。
・国家情報会議設置法、
・国旗損壊罪騒動、
・同志社国際高校への文科省介入、
このあたりの根っこは全て同じだろうと思う。

国旗損壊罪問題については、本欄2025年11月4日でも取り上げたことがある。
報道によれば、現在の保護法益論は「国旗を大切に思う一般的な国民感情」らしいが、つまり国旗や国歌の強要に反発する国民感情を許さない、という全体主義的発想である。
「一般的な国民感情」を保護法益とする立法は前代未聞だし、これを突破口に次々と類似の刑罰法規が誕生した日には恐ろしいことになる。「一般的な国民感情」に要保護性を認めるなら、なにも対「国旗」関係だけに止まる筋合いはない。そのうち、凶悪犯を弁護することを嫌忌する一般的な国民感情を保護する刑罰とて、誕生してしまうかも知れない(山口母子殺人事件の懲戒騒動を思い出せば決して絵空事ではない)。
それだけ恐ろしい、越えてはいけない領域である。

同志社国際高校への文科省介入問題は、傍目には、死者を出し強く反論できない同校の弱みに付け込み、これ幸いと、反基地運動、反戦運動への敵視を煽るものに映るから、やはり全体主義的傾向が強く出ている。
文科省は「同志社国際高等学校の研修旅行における辺野古への移設工事に関する学習について、これまで把握した限りでは、事前及び事後の学習を含めて、様々な見解を十分に提示していたことが確認できず、特定の見方・考え方に偏った取扱いであったと考えられる。」としているが、なにをもって「様々な見解を十分に提示していた」とするのか、その線引きは曖昧にされている(政府のお気に召す「様々」を提示しない限り取締の対象とすると威嚇することこそが、萎縮効果狙いというものである)。
例えば、靖国神社遊就館を修学旅行先に選定した学校に対し、合祀の違憲性が指摘されていることとか、侵略戦争の立役者を英霊と祭り上げることの問題性を十分に提示せよと文科省が注文を付けることなど、凡そ考えられないのであり、結局、政府に楯突くものをここぞとばかりに攻撃しているに過ぎない。

国家情報会議設置法は、条文を読むと例の如くの白紙委任で、なにがなんやら分からない法律であるが、「重要情報活動(安全保障の確保、テロリズムの発生の防止、緊急の事態への対処その他の我が国の重要な国政の運営に資する情報の収集調査に係る活動」「の対処に関する資料又は情報であって、会議の調査審議に資するものを、適時に提供するものとする」という条文からは、「その他の我が国の重要な国政の運営に資する情報」とこじつけ、無制約に個人情報を収集できる建て付けのように読める。
かのシーテック事件(大垣警察市民監視事件)にせよ、冤罪被害者のDNA情報抹消請求事件にせよ、国が、違法な情報収集を平然と行っていることは歴史の示すところであるし、且つ、違法行為が発覚しても、謝りもしなければ再発防止策もとらないことも同断である。
現在ですら、公安の如き人権侵害の塊のような機関が跳梁跋扈しているのに、更に強化して設置する思惑がどこにあるのかを考えれば、答えは自ずから明らかである。

こういった問題については、いつか取り上げようと思っていた。
並べると実に相観であり、法律家が臆せず声を上げなければ、取り返しの付かない事態はすぐそこだろう。

(弁護士 金岡)