成文堂「刑事手続の新展開」に少しだけ執筆させて頂いたので、本欄でも紹介しておく。

1988年に第1弾、2002年に第2弾と版を改め、今回が第3弾である。不幸にして、あらかた原稿が出来あがってきたあたりで2016年の刑訴法改正が成立したため、同改正を踏まえられた原稿も「追記」的に対応するなど、少々、歪なところはあるようである。

とはいえ、法曹三者が同一の話題について原稿を提出し、相互に批評し合いながら加筆等で議論を交わしていくという趣向の本書は、類書にはない価値があると思われる。

ちなみに私は、上巻9章の「被疑者の身体拘束」について執筆した。この手の書籍では精神鑑定について執筆を求められることや、最近ではフォレンジック解析を通じた弁護活動について執筆を求められることがあったが(先日は対拘置所国賠についての執筆を求められたり)、要するに業界的に見るべき活動ありと目されてのことと捉えれば、捜査の初動を重視する立場からは正当に評価を頂いた、と受け止めてよいのだろう。

上記の論文に対しては、栗原正史裁判官からの批評論文が出ている。ご想像の通り、裁判実務に辛口の私の論文に対しては、やはりかなり不快に思われた向きがあるようで、全般的に反論的なものであるが、興味深くもある。

例えば、勾留裁判において、私は裁判官が被疑者の日常生活について資料不足のまま安易に判断しすぎると批判を加えた(369頁以下)。これに対しては、机の上で理念を振り回すのではなく走り回って資料を集めてこそ弁護人だろうという趣旨の反論がされている(389頁)。ご指摘はもっともだが、機敏に動かない・動けない弁護人を国選であてがわれた被疑者に、それをいっても虚しくはないだろうか。裁判官こそ、机に出された資料だけで右から左へと勾留するような仕事は駄目だと肝に銘じるべきではなかろうか。令状発付という強大な権限を有することを自覚し、机仕事にしないで頂きたいと、再度、訴えておこう。

また例えば、栗原論文では、「いとも簡単に接見禁止をつける」と批判したことに「まったく当たらない」と反論されている。こうまで出発点がずれては議論にもならないが、最近の私の経験だと、「小6の長男」との接見禁止がいつまでたっても解除されない(その子を介して配偶者から事件関係者へと罪証隠滅がされるのだそうだ)という経験をした。どこぞの会長ではないが「おかしいだろ、これ」としか言いようがない。そして、論文中では、やはり私の担当事例で、準抗告までしてようやく「指定理髪業者を含む部分の接見禁止が取り消された」浜松支部の事例を紹介したのだが、これについて栗原論文は「そもそも接見禁止の対象外」と指摘される。ご指摘はご指摘だが、現実に散髪ができない状態が続いていたのだから、それは裁判所が「いとも簡単に接見禁止をつける」傍証だろう。ちなみに言えば、当該地域でおかしな実務が定着していると言うことは多々あり、例えば名古屋では「接見禁止でも親族が書き込みのない公刊物を差し入れること」は可能だが、特に関東方面では、まるごと禁止されている風である。名古屋で実害がないことが実証されているなら、関東方面は「いとも簡単」(以下略)ではないのだろうか。現場の裁判官は、数年は刑事弁護を担当し、おかしな現実を少しくらい経験してから刑事裁判を担う法曹一元を導入すれば、少しは変わるのだろうか。

とまあ、色々と不満を並べたが、こういう企画に参画できたことはありがたかった、と思う次第である。

(弁護士 金岡)