東京I警察署からの電話。
私の依頼者に対し「参考人」として事情聴取をしたいという。
事務所を提供しましょうかというと快諾されたので、事務所での聴取、ついでに行きがかり上の私の立ち会いも実現した。

「参考人」といっても、担当警察官曰く、要旨「実は被疑者は否認しています。もし(警察の想定通り)認めて貰えれば、短時間で済みますので、御依頼者に真実を話すよう勧めて下さい。もし、逆に知らないとか否定されることになると、検察官の命で、強制的にお話をして貰うことになるかも知れませんので。」というので、限りなく被疑者に近い「重要参考人」と受け止めざるを得ない「参考人」である。
(それにしても・・弁護士に対し「認めなければ強制的にお話をしてもらうかも」とは恐れ入る。弁護士を通して自白強要を行うことが平気ならば、弁護士不在の密室では果たしてどれほどの自白強要が行われるのだろうか。)

ともあれ警察の事情聴取に立ち会うというのは得がたい経験である。
見立てに沿わない供述に進むと、或いはなかなか供述が得られないと、「本当のところはどうなんですか」「捜査の秘密があるから詳しくはいえないけど・・・な証拠資料がありますよ」「本当のところはどうなんですか」(以下、繰り返し)という感じで、事実認識を糺すというよりは、説得する、口を割らせる方に、力点が置かれている。1時間かかってようやく「被疑者と参考人との間のそれっぽいラインの写真」が1枚、出てくるような有様であった。
意地悪な見方をすれば、
・ できることなら証拠抜きに認めさせたい、
・ 証拠を出すにしても小出しにして引っかけ、優位に立ちたい、
・ 被聴取者から決定打が出てこなければ、捜査側に同調するまで絡みつく、
というようなものと見受けられた。
まさしく前近代的、というものだろう。

付け加えるなら、警察官からは「こういうことは一切ない」「こういう資料は出てこない」等の言辞がたびたび見られたが、聞いている方としては、「それ本当?」と思わざるを得ない。誤導の結果、供述が曲がっていっても、その経過は闇に葬られる。
尋問が想定される関係者からの供述録取や証人テストは、全て、可視化されなければならないことが、良く分かる。

(弁護士 金岡)