【1】
RAISこと「取調べ拒否権を実現する会」が発足して、俄に、取調べ拒否の実践報告が蓄積され始めている。
必ずしも身柄事件限定というわけではないが、ここでは身柄事件を念頭に置く。

憲法が黙秘権を保障し、刑訴法198条5項が自身の供述を証拠化する権限を保障している中で、如何にしてこれを実現するかには、長らくの苦闘があった。私が駆け出しのころは署名押印の「一律」拒否が先駆的な取り組みとして脚光を浴びており、更に、包括的黙秘権行使、取調べへの立会、今般の取調べ拒否と、捜査機関が蹂躙し続けてきた(そして裁判所がそれを許容し続けてきた)前記各権利を実効あらしめるための努力は、刑事弁護の歴史そのものであると言って過言でないだろう。
取調べの可視化も、一応、この流れに属すると評価して良い(但し、手続的に弁護人から援助を受ける機会が前置されていない中で録音録画の拒絶が出来ない制度設計になっているため、自身の供述を証拠化する権限を逆に危うくする側面があり、手放しでの評価は出来ない)。

自身の実践においては、事案の個性や依頼者の個性に応じて上記のような各手法を使い分けることが当然に求められてきたし、それ故、(奥の手としての位置付けではあったが)代用監獄の自室から出ない、という取調べ拒否(出房拒否)を助言することも、年1件くらいはあったと思う。
署名押印の「一律」拒否にせよ、包括的黙秘権行使にせよ、何れも自衛の措置を「楽に」行使できるようにするための工夫であったから、わざわざ取調室で労苦を伴う状況に陥るまでもなく行かなければ良いというのは、当然にたどり着く発想である。ただ、少しでもましに過ごしてもらいたい代用監獄において軋轢が高まる状態に置くことが依頼者にどれほどの負荷をもたらすかは、こちらからは検証しづらいところがあり、それ故「奥の手」扱いしてきたことは否めない。
いまや、「包括的黙秘権行使をするなら、わざわざ取調室に行く利点があるか(行かない弊害はあるか)」という、逆方向の視点から物事を捉え直すことが求められていると思うと、時にこれを実践してきた身として感慨深いものがある。

【2】
さて、最近、捜査弁護はできるだけ、より機動力の高い弁護士に託すことが多いが、現在受任中の案件でも、最低でも包括的黙秘権行使が正しい中で、依頼者と協議し、取調べ拒否(出房拒否)を助言し実践しているものがある。

やはり、代用監獄の職員から「取調べを受ける義務がある」とか「拒否するなら自分の口から取調官に言え」という対応がされている。都度、抗議文を送るなどして、誤った法解釈を押しつけるなという苦情を出すことになる。

また、依頼者から、何度目かの拒否時に、その状況をビデオ撮影されたという報告もあった。(全国的にはどうか知らないが)私の中では新しい現象である。
一体、取調室へ向かうことを拒否した状況を、代用監獄の職員がいかなる権限で撮影しているのかすら、分からない。もし、取調べ拒否に対する何らかの強硬策(有形力を行使して車椅子に押し込め強制連行する例の手口であろう)の予兆であるなら、それ代用監獄の職員が捜査機関の手先として行為していることになり、捜査と留置の分離という現行法の建前に反していることになる。
注視しておく必要がある。

【3】
ともあれ、過去の経験も含め、弁護人がそうすべきと判断して、方途を含め助言し、何かしらの問題が生じても接見等できちんと解消している限り、取調べ拒否は難しくなく、他方で効果は十分に得られる。

取調室での苦行を前提に、対処法を授けるよりも、そもそも「取調室に行く理由があるのか」を問い直すことは、各自、励行し、習得すべきである。

(弁護士 金岡)