【9】 ハンドル操作による結果回避を巡る攻防
以上の段階で、検察官の立論は十分すぎるほどに崩れたので、そのまま無罪でも良さそうなものだが、裁判所は、念のためなのかどうか、検察官が主張していた、実証実験に基づき、ハンドル操作により回避可能であるとの立証についても検討している(視認可能距離の立証が崩れているのだからハンドル操作の起点がずれる以上、論理的な必然性はない)。

これは、前出の50代半ばの男性を被験者として、事件現場を利用し、夜間、模擬人形を設置して自転車で走らせ、回避できるかどうかやってみたという実験であり、公判準備段階で検察官の指示により行われたとのことである。
10回の試走で、1回は急ブレーキ、残りは(できるだけ躱すようにとの指示が出ていた)左右のハンドル操作で躱せた、という結果になっている。

この実験も、被験者が高齢者ではない、と言う点で既に視認可能距離が異なるから、今回は動体視力を用いたとは言っても既に前提とすることは困難に陥ってはいたのだが、更に「詐欺」というべき欠陥がひどく、弁護側では相当強く槍玉に挙げて証拠採用自体に反対した(残念ながら証拠採用はされたが、異動前に判決をと言う年度末進行とはいえ少々、安易な証拠決定であったと思う)。

代表的な点を書くと、要するにこの実験では、再現性が重要になるため、「6メートル」まで模擬人形が見えないことが不可欠であるが、実験の最中、しょっちゅう、脇道から自動車が入ってきて模擬人形を照らし出したり、あるいは警察官の作業の明かりで模擬人形が照らされたり、という事態になっていた(警察側でビデオを残していたものが開示された)。
その場に立ち会っている被験者には模擬人形の位置が全部丸見えである。
私が数え上げたところでは、10回中6回は、上記のような照射がされて、被験者から模擬人形の位置が丸わかりになっていたが、うち少なくとも5回はそのまま実験が強行された。特に最後の1回は、被験者が試走を開始してから照射がされて、被験者は慌てて模擬人形直前で止まり引き返し、なんとそのまま、実験が再開されていたという欠陥ぶりである。
担当警察官は、公判で要旨「1度、車が出てきて模擬人形が照らされ位置が分かったことがあったので、人形の場所を変更した」と証言したが、実際には、少なくとも5回は場所を変更していない「出来レース」だったのである(明らかに変更していない際のビデオを尋問中で示したが、頑なに、変更しないまま実施したことを認めようとせず、裁判官の心証形成上、有意に作用したのではないかと思われる)。善意で協力する被験者を怪我させないようにとの配慮ではあろうが、絶対に回避出来るよう仕組まれた実験に過ぎなかった。

判決は、上記指摘をそのまま容れて「前記6回のうち少なくとも5回については、人形の位置を変更するなどした様子がなく、(被験者)が事前に人形の位置を把握した状況で実験が実施された可能性を否定できないのであって、これらの実験結果の信用性や証明力は低いといわざるを得ない」と判示している。

もし動画が保存されていなければ、裁判所は、上記ぬけぬけと偽証した警察官に騙されたかもしれない。昭和だろうと令和だろうと、警察官の偽証は日常茶飯事であり、しかし常に「偽証の具体的蓋然性」を示すことは不可能事である。事後検証可能性の担保と証拠開示が裁判の生命線であることは、改めて言うまでもないことであるが、幾ら強調しても強調しすぎることはない。
上記のような偽証事実も踏まえて考えれば、仮に動画が保存されていない場合、証拠能力を否定すべきだろう。今時、警察の検証実験を撮影出来ない理由はないし、裁判官に、警察官の偽証を見抜けと言っても困難を伴うからであり、容易に事後検証可能性を確保出来る属性の証拠に、合理的理由もなくそのような措置が施されていない場合、それ自体を、危険の兆候と捉えて法律的関連性を否定する位の弁えがなければ冤罪の危険は減らない。

【10】 被告人質問
検察立証が十分に崩壊したので、被告人質問は実施しなかった。
検察官も、不出来な検面(1/3の【3】参照)を撤回し、被告人供述抜きの審理が実現した。

【11】 労基署は正反対
余談だが、この事故、歩行者側は業務災害として労災を請求し、依頼者は(弁護人選任前に)自ら防御に努めたが、労基署は依頼者を加害者認定して求償を主張している。
客観性のない労災の審理が行われると、このような「冤罪」が生じるということである。無過失主張がされていたのだから、刑事裁判を待つくらいの知恵があってしかるべきであったと思う。

【12】 自転車運転手は何処を見ながら走るか
最終的なケースセオリーからみると少々脇道の論点にはなってしまったが、検察官の「6メートル」の主張が、至近距離を注視していれば、という前提であることも、弁護人としては気になっていた。
というのも、自転車運転手は、至近距離を注視して走ったりなど、しないからだ。

この問題については、本欄2023年5月12日で紹介した札幌地判2023年4月18日が、「特に左方を注意して運転するのが自然な道路状況」として、具体的状況に応じて注視すべき方向を吟味する姿勢を打ち出してるのが、非常に参考になる。
翻って自転車の場合、都市設計の研究分野で自転車運転手の視線を研究したりといった先行研究があるし、そのような大層なものを持ち出さなくても、行く手の信号や交差点に視線が向くのは当たり前であるから、至近距離注視義務なるものは観念しがたい。そして、視線が向いている以外の箇所は、周辺視野であって視野はぼやける(視力を物差しとすると半減するらしい)ので、視認可能距離の議論にも影響が生じることは間違いなかろうと思う。

こういったことを研究出来たのも、非常に有意義であった。

(3/3・完)

(弁護士 金岡)