なかなかに衝撃的なことを教えて頂いた。
現在、内閣法制局が再審に関する法改正に抵抗を続けており、特に検察官抗告の全面禁止について、全面禁止を原則禁止に留めよ等と鬩ぎ合いがされている状況であると報じられている(あくまで報道から窺い知れる程度であるため正確性は期しがたいが、個人的には、より深刻なのは証拠開示に関して極めて不十分な、後退必至の法律が出来上がってしまわないかという点にあると思っており、その点の議論が薄いとすれば大問題であるが、それはさておく)。

内閣法制局長は岩尾信行氏。
言わずと知れた検察官出身者であるが、その岩尾氏が、日野町再審事件の確定審(つまり確定した有罪判決を下した第1審)の公判立会検察官の一人であるという。
少なくとも1993年3月から1994年3月ころ、岩尾氏が確定審の公判立会検察官であったことは記録上、間違いないようである。

勿論、確定審はかれこれ7年は係属した裁判であり(判決は1995年6月)、そのうち1年やそこら、担当したからといって、岩尾氏が全責任を負うとは言えないだろう。とはいえ、少なくない割合の期間、公判立会検察官として活動した以上は、「冤罪加害者の一人」と指弾されること自体は無理からぬことである(なお、日野町再審事件は未だ再審の審理判決には至っていないが、事の経過を追えば、現時点で「冤罪」と表現することにも差し支えはあるまい)。

現在、検察庁が、日野町再審開始決定の確定に対して、庁内でどのような検討状況であるのかは知るよしもないが、仮に、開始決定が指摘するような「実際の引当経過と異なる」金庫発見経緯を警察官に証言させるなどした不正を認めるのであれば、そのような不正の上に獲得された冤罪判決の雪冤をひたすらに先送りさせる抗告の繰り返し(開始決定から、その確定まで、検察官の二度に亘る抗告により7年半を要した)もまた、反省をもって向き合うしかない。

そのような、反省すべき抗告を繰り返した歴史に向き合うべき、冤罪加害者の一人である岩尾氏が、内閣法制局長として、検察官の抗告禁止に抗う指示を出し続ける、というのは、最早、悪い冗談でしかない。
至って部外者ではあるが、なかなかに衝撃的な話題であったので、紹介させて頂いた次第である。

(弁護士 金岡)