本欄2026年5月29日「平間国賠に勝訴(虚偽訴因の維持や虚偽論告の違法を認める)」で報告した、平間文啓検察官を加害者とする国賠事件の勝訴が確定した(・・らしい。というのも、控訴期限経過前に被告国の控訴断念の一報が流れるも、未だ被害者たる此方側には一言も連絡がなく真偽の程の確認のしようがないからだ。)。
そこで改めて、この「公判途中で検察官が、当初訴因及び検察側証人の証言と致命的に矛盾するLINE履歴(弁護側が検察官の入手前から証拠開示を求めていたもの)を入手したにも関わらず、それを隠し、虚偽の訴因を維持し、虚偽の論告を行った」という事案について振り返っておきたい。
本稿では、国賠理論について検討する。
【1】
無罪後の国賠はそれなりに数があるが、(単に結論無罪だから賠償せよといっても始まらないし、そこだけが本質というわけでもないので、)どのような点を捉えて国賠法上の違法と構成するかについては、様々な工夫がされている。
例えば布川事件国賠第1審(東京地判2019年5月27日)では、大別8点(8類型)の国賠法上の違法が主張され、うち、証拠開示義務違反については、「検察官の手持ち証拠のうち,裁判の結果に影響を及ぼす可能性が明白であるものについては,被告人に有利不利な証拠を問わずに法廷に顕出すべき義務を負うものというべき」との解釈を引き出すに至っている(もっとも、例えばポリグラフ検査結果の不開示は損害との因果関係がない、などとも判示されているので、やや締まらない印象を受ける)。
他方、再審公判において有罪論告を行ったことの違法性が主張されたことに対しては、職務上正当行為、として、その違法性の主張は退けられている。
また例えば松橋事件国賠第1審(熊本地裁2025年3月14日)では、布川事件国賠とは逆に、「裁判の結果に影響を及ぼす可能性が明白であるものについては、被告人に有利であると不利であるとを問わず、法廷に顕出すべき注意義務」は解釈論として否定したが、その一方で、「公訴追行に際して、検察官が現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程によって有罪と認められる嫌疑があれば、当該公訴追行は違法性を欠く」として、公判維持を注意義務違反に問う解釈論が引き出され、「(嫌疑に十分な疑念を抱かせる)本件袖片残存の事実を公判廷において明らかにすべき注意義務を負っていた」との結論が示された。
しかしそれでもなお、公判維持は適法とされ、公判を維持したことや有罪論告を行ったこと自体の違法性は否定されている。
【2】
このように、冤罪の歴史を語る上で、検察官の証拠隠しが大きな役割を果たしていることは上記各事例からも優に論証できるところであるが、それを如何なる形で国賠法上の違法に落とし込むのか、特に公訴維持の違法にまで踏み込めるのかは、正に現在進行形で議論が闘わされているところである。
指宿信教授は、このような理論構成の側面の難しさについて、熊本大学法学部主催のシンポジウム「国賠訴訟は刑事司法を変えるのか?」において、「検察官の訴訟活動から証拠参照義務、証拠適性評価義務、証人弾劾義務、適正手続遵守義務を抽出して概念化していくのです。このような義務は刑事訴訟法の教科書には書いていない・・こちらが創造しなければなりません・・この作業が大変なんです・・このように義務違反をどこまで詰めて立証できるか」と指摘されている(熊本法学165号139頁)。
【3】
以上の観点で平間国賠地裁判決を振り返ると、既報の通り、当初訴因を維持した違法性や、虚偽論告を行った違法性が認定されているから、そのまま公判を維持する、有罪獲得に向けた公判活動そのものが違法視されるという、布川事件国賠、松橋事件国賠と比べても更に踏み込んだ出色の結論が示された、と評価できるように思われる。
私の作成した訴状の構成も、「故意に虚偽の論告を行い、成立し得ない公訴事実による有罪獲得を求めること」の違法性を中心に据えて、LINE履歴の証拠隠しは次順位に位置付けたが、正に本件の本質は、「故意に虚偽の論告を行い、成立し得ない公訴事実による有罪獲得を求めること」そのものにあったことから、裁判所の判決はこれに応えるものであったというのが、弁護人であり訴訟代理人である私の感想である。
他方で、証拠隠しの違法性については、独立して違法性の判断を受けていないが、それは、上記のような訴状構成に負うところが大きいのだろう。おそらく裁判所は、平間文啓検察官がLINE履歴を入手した時点で、理論的には、直ちに公訴を取り下げるとか、そこまでしなくても訴因変更するとか、とりあえず論告を取りやめて進行協議を入れるとかの様々な是正措置の方法があり、それ自体は検察官の選択に委ねられると解釈し、その中には証拠開示を行う選択肢もあっただろうが、どれを行うかは検察官の裁量だから証拠開示を行わなかったことを直ちに義務違反とは構成せず、しかし結局どれもせずに虚偽の物語で有罪を獲得しようと突き進んだ事象を捉えて国賠法の違法と捉えるという論理構成を採用している。
手続の流れを踏まえた刑事手続の時系列からすると違和感のある考え方であるが、損害から振り返って観察する民事賠償的に考えれば、最も結果に直結する、虚偽の物語で有罪を獲得しようと突き進んだ事象自体を違法と捉えるならば、その一過程に過ぎない証拠開示問題を殊更に取り上げる必然性が乏しくなるというのは、分からなくもない。
ともあれ、近年の画期的な再審国賠である布川事件国賠や松橋事件国賠に比べても、有罪獲得に突き進んだこと自体の違法が指弾され、且つ、両事件と異なり国側は控訴すら出来なかったという点で、(刑事事件としての知名度は格段に落ちるが~それは罪名の軽重に加えて、広報活動に些かも関心を持たない私にも負うところはあろう~)やはり「歴史に残すべき」事件であるに相違ない。
(2/2・完に続く)
(弁護士 金岡)

















