本欄2025年5月8日において、話題を呼んだ藤井敏明論文を取り上げた。
普通のことしか書いていないが、強いて言えば、著名な刑事裁判官が(退官後とはいえ割と間を置かず)率直に裁判所の保釈実務を批判したことに価値がある、というような感想を述べたが、その後、本年3月の日大法務研究第23号に「再論」が掲載された。
折角なので読んでおこう、という訳で、またしても取り上げさせて頂く。
(藤井氏とは何の交流もないし、褒める理由も貶す理由もない)
https://www.law.nihon-u.ac.jp/lawschool/academic_reserch/pdf/23/02_homu-kenkyu23.pdf
【1】
まず冒頭の現役裁判官らからの指摘を率直に語ったところが興味深い。
例えば、裁量保釈に「特別の事情が必要」という見解は現在の裁判所実務の主流ではなく、条解のように原則例外扱いはされていない、裁量権の行使が義務的(保釈を認めなければならない)場合も観念される、というような指摘を受けたとのことである。
勿論、これは現役裁判官とやらの指摘が正しい。
今時、「特別の事情」に拘泥し、また、裁量保釈は「例外的」などと宣うのは、検察官と不勉強な裁判官くらいなものである。
【2】
藤井論文は続けて、しかしそうであれば尚更、何故、大川原化工機事件のような事態が生じたのか?と問うており、このこと自体に現代的な価値があることは勿論である。
ここでは、大雑把にまとめれば、会社ぐるみの事案の罪証隠滅を疑うべき相当の理由をどのように評価するかの問題と、松本論文以来の整理手続における保釈実務が却って保釈を阻害しているのではないかという推察が披露されている。
しかし後者は、要するに、まだ保釈時機が到来していない整理手続序盤で保釈を却下されると、その後、事情変更が作れず、ずるずると身体拘束が長引くのではないか、という指摘であるが、経験的には当たっていないと思われる。
そこまで事情変更を作れず苦労する事案は見ない(前回から確実に数週間、身体拘束されていることとて立派な事情変更ではなかろうか?)からである。
他方、会社ぐるみの事案の罪証隠滅を疑うべき相当の理由をどのように評価するかについては、どこまで供述に依存する事案なのか、つまり意思決定過程が文書やメールで残されているような場合は、供述そのものに重きが置かれるわけではなく、人的証拠への働き掛けにより保釈を不許ならしめる必然性はないのではないかという趣旨が書かれている。
こちらは、保釈請求書の中心をなす証拠構造論として、必ずしも目新しいものではないが、汎用性のある議論なので、起案において必ず意識したいところである。裁判理由を眺めていると、こういう問題意識を持った良い決定は既にあるが、注目度のある論文にしっかり書かれたことは意義があると評価したい。
【3】
論文の後半は、割と情緒的なものである。
刑事弁護人から言わせれば、やはり、今更それを言うのか、感があるが、まあ、今更それを言われなければならないのが裁判所実務であることは否定しがたいので、歯に衣着せぬ物言いは、まあ評価できる方だろう。
例えば、こういうことが書かれている。
「身柄を拘束される人の苦痛に対する裁判官の感覚や想像力は,一般国民に比べても希薄になっていないだろうか。実刑に処せられる被告人の苦痛に心から共感し,それを日々痛切に感じているのでは,大きな精神的負担になり,裁判官の仕事を続けることも困難
になるから,一般国民に比べて感覚が鈍くなることは,刑事事件を担当する裁判官という職業に伴うものとして,やむを得ない面はあるだろう。しかし・・」(36頁)
職業的に人の痛みをすることを要求されている刑事裁判官が、その職業柄、感受性が鈍るのはやむを得ない面はある、とまで言われると、その逆説さには嗤うしかないが、身体拘束の苦痛を理解し切れていないという自覚は(弁護人とて直接経験しているわけではないから)常に大切にすべきものである。
他方、こういうことも書かれている。
「裁判官は,保釈された場合に被告人が罪証を隠滅する行為に出て,裁判所の判断が誤ったものとなる可能性と,身体の拘束の継続により被告人が受ける不利益の程度とを具体的に比較考慮し,身体の自由を制約することの正当性の有無を判断すべきであり,「罪証隠滅のおそれがある」という文言を,検察官の主張に反する判断をする勇気がないことの隠れ蓑みのにしてはならない。」(同)
検察官の主張を退けるのに勇気が必要なのかは、私には分からないが・・この総括部分のまずいところは、「裁判所の判断が誤ったものとなる可能性と,身体の拘束の継続により被告人が受ける不利益の程度とを具体的に比較考慮」して決するとした部分である。
そもそも、この両要素は比べようもないと思うが、それをおいても、「誤判の可能性が僅かに優位すれば身体拘束を是とする」のであろうか?だとすれば、全くお話にならない議論であり、何も反省していない、ということになる。
間違いなく誤判を来たし、それを回避するには身体拘束以外の代替手段がない、という場合に初めて、裁量保釈を許さないことを検討することが許される(それ以外の場合は最良の零収縮により保釈義務が生じる)、と考えなければならない。
最後で台無しにされた気分である。
(弁護士 金岡)

















