本欄で既に二度に亘り取り上げた電源問題の本質は手続的な問題では無く、いわば実体的な側面、つまり現代における弁護活動に不可欠なPC機器の整備環境を整えることが裁判所側の義務であり、裁判所構内に弁護人用の机や椅子を用意するのと全く同じように電源設備にも配慮する義務がある、ましてや、整理手続期日におけるPC内の弁護人のメモや記録参照を裁判に無関係な私的行為と片付けるなど論外だ、ということにあることは当然であるが、今回は敢えて、理論的な考察をまとめておきたい。

というのも、我々の仕事において、ある程度の攻撃を受けることは想定しておかねばならないものの、世の中には奇矯な~正に今回のような電源使用を妨げる類の想定し得ない攻撃というのも不可避にある。そのような場合に、的確に手続に乗せて係争するには、常日頃から思考訓練しておくことが欠かせないからだ。
いつぞや、接見中の撮影場面に踏み込まれた弁護士が、咄嗟に「やってません」という嘘を述べてしまった案件があったが、このように嘘をついてしまうと、あとから撮影自体の正当性を擁護しても(拘置所から弁護士会に苦情書が届いた)、なんというか味噌が付いた状態に陥る感がある。この類例であれば、「秘密接見中だから出ていけ」と対応する、また、その遣り取りを録音録画する、といった対応が正解であるが、常日頃の思考訓練なしには難しいのも事実だ。

さてそこで、電源使用不許可処分に遭遇した時、どのように手続的に対応するか。
今回、異議申立、というのが出ているが、私はこれには否定的である。
異議は法的根拠が必要だが、この場合、309条2項に求めるしか無い。電源使用不許可処分が「裁判長の処分」かと言われるとどうだろうか。講学上、ここには訴訟指揮権と法廷警察権とが含まれるが、法廷電源の使用は、そのどちらでもなく施設管理権の問題ではないか。即ち、使っていけない電源を使わせない行為は、所長から事務の委任を受けた裁判所職員が誰でも行えることであり、裁判長固有の権限に属さないから、施設管理権に属し、309条2項「裁判長の処分」に該当しない。だとすれば、電源使用不許可処分は異議の対象では無い。これは裁判行為では無く行政処分の一種であり、刑訴法上の異議の問題ではない。対抗するには、行政処分への対抗措置の議論が妥当する。

他方で、電源使用不許可処分は法廷警察権の問題だ、という理解も一応可能ではあろう。裁判長が弁護人や検察官に電源使用させて裁判を進めていたところ、所長がこれを禁じ、裁判の円滑が阻害されたとすれば、裁判権侵害に該当する、といった捉え方である。こう考えると、309条2項の異議が可能になる。
この異議が棄却されたら(景山コートではここまで進んだ)、次はどうなるか。地裁への再異議は禁止だが(規則206条)高裁への異議が可能になるのか。
この点、高裁への異議を認める法的根拠は見当たらないが、419条の通常抗告は可能かも知れない。問題となるのは420条「裁判所の管轄又は訴訟手続に関し判決前にした決定」だと通常抗告が封じられると言うことであるが、果たして電源使用不許可処分は「訴訟手続に関し」たものであろうか。弁護権侵害と位置付けるなら、訴訟手続に関したものであろうから、その場合「逆に」通常抗告が封じられる(控訴審で取り上げて貰えないことは必定であり、救いがない)。結局、次なる手段は特別許可のみである、と考えることになろう。かたや、電源使用不許可処分は(法廷警察に属するものではあるが)「訴訟手続に関し」たものではないとすれば、通常抗告が可能になるから、高裁に対し異議取消を求めて通常抗告することになるのだろう。

とまあ、こういう議論を平素から経験しておけば、その場で間違いの無い対応を取ることが出来るだろう(行き着くところは国賠かも知れない。その時は、その場で瞬時に国賠訴訟における立証に思いを巡らし、即ち「接見交通権の理論と実務」において指摘したように、まずは録音ないし直後の陳述書作成等により、裁判所が「決定していない」などという嘘をつけないようにしておくことである。)。

以上が、この問題に対する私なりの考察であるが、(例の如く岐阜の神谷弁護士から)関連資料として教えて頂いたものとして、「裁判所の庁舎等の管理に関する規程」と、「裁判所庁舎管理規程の役割りと性格」(潮見俊隆)がある。
管理規程15条の趣旨を酌めば、裁判所の電気設備の施設管理者はやはり所長であり、そうすると、景山裁判官の電源使用不許可処分は、所長から電気設備管理の事務を委任されたことによるものと理解することになりそうである。
かたや、潮見論文は、施設管理と法廷警察とが重なる場面を念頭に、このような在り方を批判し、施設管理権が法廷警察権の上に来るような事態に警鐘を鳴らしている(潮見論文は他にも、施設管理権が、たかだか裁判所の内規であるのに、国民の基本的権利を侵害する問題点にも鋭く警鐘を鳴らしている)。先に挙げたような、電力を用いた裁判運営を所長が禁止しにかかったとすると、潮見論文のような深刻な問題がおきるだろう。その視点からすれば、電源使用問題も、広く法廷警察権の問題と捉えた方が、裁判官の独立を旨とする憲法に沿った理解と言うことになる。なれば、行政処分と捉えた私の考え方は憲法的には好ましくなく、309条2項の問題とした上で、420条をどう解決するかに重きを置くべきなのかも知れない。
良い勉強である。

(弁護士 金岡)