毎日新聞の報道において、和歌山県及び福岡県には、飲酒運転を繰り返すと罰則付き医療機関受診命令の条例があるとされていた。

なるほど福岡県飲酒運転撲滅運動の推進に関する条例では、酒気帯び運転等で検挙された「違反者」が所定期間内に再違反に及んだ場合等に、原則必要的に医療機関受診命令を出すこととし(8条)、命令違反に過料の制裁を科している(37条)。また、単なる「違反者」であっても所定の要件下に、診察勧告に繰り返し反すると裁量的な受診命令を出すことができ(8条の2)、やはり罰則を伴う(37条)。流石に罰則付きではないが、9条では専門病院において治療を受ける義務まで規定されている。

政策目的は理解できるが、一般論として、医療機関受診義務や治療義務を科すことには違憲の臭いを感じる。ましてや受診義務の方は過料の制裁を伴うのであり、強度の強制である。「検挙」段階であるのに、医療にまつわる個人情報を強制的に開示させることにどれほどの正当性が見いだせるのか、慎重に検討されたのだろうか。
況んや、治療義務においてをや、である。治療に服するということは、例えば、私生活の束縛、更には意に沿わぬ服薬、採血(傷害行為である)を伴う。薬は、良くも悪くも侵襲的なのであり、採血に至っては皮膚に針を突き刺す行為であり、それを強制できるという発想は強制処分法定主義が採用されている現行法下で、憲法論としても真正面から問題となりそうである。

本欄では時々、取り上げることだが、悲惨な事態の後に極端な立法が繰り返される事態が近年、目に付く。条例もまた然りである。
正当な目的だとか、必要性があるからといって、基本的な人権との衡量がおろそかになるようでは話にならない。知事の命令により結果的に薬を飲むよう或いは注射針を刺すよう命じられる、罰則付きで医療機関に個人情報を晒させることが、基本的な人権との衡量を尽くした上で必要最小限度の制約(免許制度の運用による解決以上の侵害的な行政処分が必要である)として条例化されたとは、どうしても思えない。

(弁護士 金岡)