昨日付け本欄に引き続き、奈良市内における元首相に対する銃撃事件に関する、日弁連会長声明について取り上げる。
問題は、大きく2つである。
1つは根拠も熟慮もなく、民主主義への攻撃の事件として批判したこと。
もう1つは、民主主義への攻撃の事件として「断じて許されない」としたこと。
どちらも大きく問題であり、相互に関連し合っているが、敢えて序列を付けるならば、やはり後者の方がより問題であると言わなければならない。「民主主義への攻撃の事件」に対し、弁護士会が「断じて許されない」としては、憲法及び国際人権が要求する手続保障も弁護権もなにもかもが失われる。そのことを弁えていない人物を日弁連会長に据えていることは、国内外を問わず恥さらしである。
(そこで昨日、件の会長殿に対し、質問状を送付し、まともに回答出来ないのであれば辞職するよう、勧めておいた次第である)
本欄ではかねてより、日本の刑事司法制度が病巣的様相を呈する都度、裁判所や検察庁を批判してきたが、弁護士会も同じ穴の狢であったということである。
さて、この問題を議論している最中、かの古田弁護士より「30年で退化した」として、地下鉄サリン事件当時の日弁連会長声明を御指摘頂いた。
https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/1995/1995_3.html
同会長声明は、「いかなる重大犯罪や特殊事件の捜査であっても、そのこと故に、憲法と国際人権法に基づき確立された適正手続が軽視されたり、形骸化されることがあってはならない。事実の追及が適正手続の原則の下に進められるべきことは、民主的な法治国家において揺るがすことのできない基本原則である。」「テロ事件のように大きな社会不安と犯人への強い怒りを生む事件では、客観性を欠いた捜査や法を逸脱した捜査が行われる危険があることは、歴史の教えるところである・・改めて捜査機関に対し、等しく、憲法と国際人権基準に従った適正な刑事司法手続を遵守されるよう求めるものである。」として、加熱する空気に踊らされることなく慎重に手続を進めることを強く要求している。
関連事件では弁護士も被害者であるとされる中でもなお、刑事被疑者のために守られるべきものがあり、それは譲れないという声明を出すことには、やはり気力と胆力が必要かもしれない。それでも譲れない一線に敢えて声を上げられた日弁連会長がおられた、ということは、実に快事である。
現代の弁護士は、無論、こちらを承継していかなければならない。
加熱する空気に踊らされ、一緒になって「断じて許されない」等と口走る現会長との乖離は余りに大きく、比較することすら躊躇われよう。
とある刑事弁護士は「極悪非道を弁護する」という市民向け講演を行われたことがあると伺っている。別の刑事弁護士は「なにがあってもあなたの味方」を標榜する。
それが綺麗事に過ぎないのか、その精神にすり込まれているかは、こういうときに露呈しよう。その精神にすり込まれた弁護士は、筋の通った良い仕事をする。そうでない弁護士は、語るにも値しない。
【7月19日 追記】 日弁連会長は、上記質問状に対し「個別に回答しない」という紋切り型の回答を寄越した。反省の欠片もない。
(弁護士 金岡)