本欄を「盛岡」で検索すると、出るわ出るわ、20件近い記事が該当する。
その大半は、かの盛岡事件に関する愚痴めいた記事である。
直前の証言予定変更に対し即時の反対尋問を拒否したが容れられず、辞任騒動、在廷命令、そして処置請求に発展した騒動。
SBMが拒否された騒動。
打合せ期日に(修習生は入れるのに)被告人は入れなかった騒動。
どれもこれも、被告人の防御権や当事者性という憲法、刑訴法の根幹に関わる裁判所の無理解に起因するものであった。弁護人が進退(身体)をかけて抗い、是正を試みなければならないことは当然である。

さて、この盛岡事件は、画期的な差戻判決の後、差戻第1審で無罪判決が得られるも検察官控訴がされたが、先日既報の通り検察官控訴がされ、控訴棄却判決(深沢茂之裁判長)がされ、2022年12月15日の経過を以て無罪が確定した。
2012年6月の交通事故が2014年に起訴された後、弁護人に就いて実に8年以上が経過した。その大半は過失の基本的理解を欠く検察官、裁判所との論争であったと思う。御協力頂いた松宮孝明教授に言わせれば大学生に教えるところから説き起こす必要を感じる程の無理解さ(差戻後控訴審における検察官の弁論再開申立においてすら、過失の判断に被告人の認識しない客観事実は考慮すべきではないなどという箍の外れた主張が提出された程である)と格闘する8年は、被告人にとっては大きな迷惑であったと思うが、まずは良い結果を素直に喜びたい。

差戻後控訴審判決(仙台高判2022年12月1日)は、各審級の判断と同様に被告人の前方不注視を否定し、その時点で無罪であるとした(この前方不注視を否定する判断を引き出したことこそ、例の処置騒動に発展する反対尋問拒否が直接大きな貢献をしているものであり、弁護人が裁判所の審理計画に阿ること無くケースセオリーの精査に時間をかけることの大切さを教える)。
その上で仙台高判は、経過に鑑み車間距離保持義務違反や結果回避可能性についても検討を行い、悉く検察官の主張を排斥したが、特徴的なものとして車間距離保持義務違反を否定した論旨を紹介したい。

被告人車は、時速約100キロの先行車に同じ速度で追従し、先行車がブレーキランプを点灯させた時点で車間距離は約40メートルであった。被告人車の後方約43メートルには時速約90キロで追従するトラックがいた。
このような被告人に車間距離保持義務違反が認められるかについて、差戻後第1審判決は、検察官側専門家が提唱した「余裕時間1~2秒」を制動時間に加算して保持すべき車間距離を算出するという手法を排斥して、前記40メートルが保持すべき車間距離に足りないという立証が無いと判断した。
これに対し、差戻後控訴審判決は、前記のように前後車両に挟まれた被告人が、一見すると障害物のない左車線に車線変更することは直ちに不適切な回避方法であるとは言えず、そうすると、検察官の主張する車間距離を保持していたとしても、被告人が左転把を選択すれば結果回避は不可能になるのだから、結局、検察官の主張するような車間距離保持義務があったとは言えないと判断した。

思うに、差戻後控訴審判決以外の各判決は、車間距離保持義務を道交法上の議論として検討し、その上で、もし同義務違反がある場合に刑法上の過失に問えるか、結果回避可能性について着目した検討を行ったが、差戻後控訴審判決は、車間距離保持義務自体を過失における注意義務としての議論として検討し、結果回避に繋がらない車間距離保持義務は課されてもいないという判断をしたようである。
かかる判決の理論構成の当否は、今後の識者の検討に委ねたいと思うが、弁護人としては、これまで散々、「左転把して何が悪いのか」(検察官が主張する車間距離を保持していたとしても、合理的運転手裁量として左転把することが許され、その場合、事故は不可避なのだから、それは俗に言う「不注意」ではない)ということを主張してきただけに、それを5回目の判決で漸く正面から取り上げた判決が現れたことを評価している。

(弁護士 金岡)