1.事の次第はこうである。なお、カギ括弧は全て要旨である。

(1)11月11日の進行協議で、取調べ録音録画の一部が弁号証として採用されることになり、12月26日に取り調べの上で論告弁論を行い結審することとなった。
12月19日に準備作業をしていて、取調べ録音録画の複製禁止条件があったのを思い出したので、無断で一部編集版を作成するのもどうかと思い、検察庁に編集版の作成を求めた。

すると検察庁(塩村広子検察官)は、翌12月20日「弁護人の複製は禁止」「検察庁では編集版を作成しない」「無編集のまま裁判所に出せばいいだろう」という唖然とする対応に出た。公益の代表者としては塵芥の部類であろう。
そこでやむなく、複製許可を求める職権証拠開示命令を申し立て、あわせて「このままでは結審不相当」と主張した。無論、結審できるように採用予定の弁号証の作成を遂げるべく協調してやらなければならないという含意であることは当然である。

(2)時は流れて12月26日(それまで誰からも何の反応もなく証拠開示命令申立は店晒し状態であった)。
弁論を書き上げ、持参して法廷に行くと、例の編集版問題について、裁判所(三芳純平裁判官)から「弁護人が主張するように無編集版のままでの提出が違法とまでは言えないが」「編集版の方が望ましいとは言えるので、技術的に可能なら検察庁でお願いできないか」と訴訟指揮があり、検察庁は「分かりました」と即答した。

さて、そこで上記一部を上映し、以て取り調べを終え、論告弁論を行い結審できるのかと思いきや、検察官が「弁護人が結審不相当というから論告は用意していない」とゴネ出す。裁判官も、「編集版が用意できていないのだから、取り調べ予定の証拠の提出準備が出来ていない以上、結審できない」と同調。

流石にふざけるなということで、「一部採用部分を取り調べて抄本は追って提出は普通にやっているだろう」と指摘するも、裁判官はそれを認めつつ「本件ではやらない」の一点張りである。そして、訴訟遅延は人権侵害だという指摘に対しては「裁判所に責任があるということか」と色をなし(こちらは「法曹三者の責任でしょうね」と応じた)、結果、①編集版が準備できていないこと、②弁護人が結審不相当と言い出したのだから検察官が論告を準備できていないのもやむを得ない、として、論告弁論はお流れとなった。

忌避を申し立てたが、当然の如く簡易却下された(勿論、異議を申し立てている)。

(3)新たな論告弁論期日を定める上で「1月24日はどうか」という。今日(12月26日)やって当然のものに70分枠の期日を用意するだけで一月、先送りとは解せないと主張すると、「他には日がない」という。

本当に「70分、空いている日は一切ないのか」と説明を求めると、「答える必要はない」と、言葉を濁す。
弁護人とて、余り先の期日まで差し支えをいう場合はそれなりに具体的な理由を説明することがままあるし、裁判所から聞かれることもある。そうであれば「空いている日が一切ないのかどうか」は説明して然るべきだと思うが、「そこまで説明する必要はない」という一点張りであった。ともかく「他の日はない」が嘘であったと確信させる一幕ではあった。

2.これが適正手続が支配する(筈の)厳格な刑事法廷であることに、驚き呆れる。

(1)言わずもがなであるが、(こちらで編集版の準備が出来ないと気付いたのが遅れたことは否定しないけれども)1週間あれば、編集版を用意するしないの問題について決着をつけることは可能であった。現に法廷で一言、裁判所が検察官にお願いしますねというと検察官は応諾したのだから(弁護人に言われても協力する気はないと突っぱねるが、裁判所にいわれればへいこらするという、見下げ果てた根性であると思う)。
最悪、無編集版と編集版を携えて12月26日、法廷に臨めば済んだというのに、それをせず「論告を用意していません」等というのは、本当に拙劣で、拙劣極まるといってもまだ足りないくらい拙劣で、どうしたって拙劣である。

(2)裁判所も裁判所で、20日から26日まで、職権証拠開示命令申立まで受けていたのだから、拱手傍観は許されず、予定通り論告弁論するために訴訟指揮すれば良かっただけであろう(今日日、編集版を作るのは5分とかからない)。勿論、裁判官は「不採用部分を含む無編集版を提出させても違法ではない」という立場なのであるから、そのように双方当事者に説明して進行協力を求めることもできたし、望ましくは編集版を提出されたいというなら、検察官に一言、意地を張らずに用意するよう打診すれば良かっただけである(その効果は前記の通りである)。
百歩譲って、当日まで解決に動けなかった理由があるとしても(ないに決まっているが)、「追って抄本提出」の遣り方を認めている癖に、本件だけそれをやらないというのは、論告を準備してこなかった検察官を庇うためだろうか?それ以外には思い当たらず、べたべたに検察官側に偏向している。
結局、これらの何れもせず、訴訟遅延の責任を指摘されると色をなして抵抗し、一月も期日が先送りされる理由を問われると(咄嗟に嘘をついた上で)回答を拒否する・・・とにかく責任を背負うことだけは嫌だという、卑しい最底辺の人格であると評価せざるを得ない。

もし、この裁判官が、裁判員裁判で急遽必要になった取調べ録音録画編集版を用意するのに結審予定を一月、先送りする方なら、ある意味では見上げた根性だと思うが、まあそんなことはないだろう。裁判員には阿るけど、被告人に対し配慮を欠く、そういう輩であるとしか観測されない。

(3)閉廷後、依頼者が、「いい大人が、なにをやっているのか・・」「あれでは人として尊敬できない」と溜息をついていたのは、全く以て正論である。

3.少なくとも12月20日の時点で、三者が12月26日に予定通り結審することを目指していれば、それは極めて容易に実現したことだけは確かなのである。そうならなかった第一次的な責任は、「無編集版を出せば」と放言して証拠の独占を濫用的に用いた検察官にあり、第二次的には、拱手傍観した上、12月26日当日も結審のための実務的に行われている方法を用いず、論告を用意していない検察官を擁護するという愚劣な態度をとった裁判官にある、というのが私の評価である。

未だ保釈中の依頼者には、本当に不便をかけ、申し訳ないと思う。
裁判が遅延すること、保釈という不自由の生活が続くこと自体が人権侵害だということすら、この検察官、裁判官には理解されていないようであり、彼/彼女らが、予定通りに結審できなかった経過について、依頼者に事情を説明したり、配慮したりという一幕もなかった(こういう場合によくあるように、裁判官は真っ先にそそくさと、無言で退廷していった)。文字通り、眼中にない、と言うことなのだろう。

(弁護士 金岡)