報道によれば、「神奈川県警の留置施設で、弁護士と被疑者がやりとりするノートを警察官に閲覧されたうえ、被疑者が書き込んだ記述を「黒塗り」されたのは違法だとして、被疑者の国選弁護人だった弁護士が県を相手取り、計350万円の国家賠償を求めた訴訟。」「横浜地裁(波多江真史裁判長)は3月3日、原告の主張をおおむね認めて、計25万円の支払いを命じる判決を言い渡した。」という。

判決を頂いたので、中身を読み、なるほど記事の通り損害額の多寡を除けば概ね原告の主張が通っている、という感想である。
判決を読んで(もちろん、悪い意味で)印象的なのは、県側の主張である。よくもこんな主張を平気で出すな、という主張ばかりであった。被告が県ということは、訴訟代理人には弁護士が就いているわけで、(これは私自身にも経験があることだが、)幾ら依頼者の利益に忠実にとは言え、弁護士としてそんな主張はないだろう、と言いたくなる。そのような主張の羅列であった。
以下、少し紹介する。

(その1)被疑者ノートは被留置者が発信する信書扱いとすべき
県側は、被疑者ノートがゆくゆく弁護人に返却されることが予定されているのだから、被留置者が発信する弁護人宛の信書として検査対象になると主張した。
裁判所は、宅下げを申請していない段階である本件事案に即した事例判断として、「接見に備えてこれに記載して留置場内で所持するものであるから」信書扱いは相当ではないと一蹴した。

⇒ そりゃそうだろう、という話である。
内部で防御能力を高めるために作成する記録と、外部発信の信書とを一緒くたにする主張を繰り出す時点で破滅的である。

(その2)被疑者ノートには取調状況、取調関連の記載をするものであり、処遇に関する不平不満を記載するものではない
県側は、被疑者ノートには処遇に関する不平不満を記載するものではないから、それを抹消する指示は適法だと主張した。
裁判所は、「接見交通権及び秘密交通権の保障の実質化」に資する被疑者ノートは、処遇に関する事項にまで及ぶことが想定されていると、一蹴した。

⇒ 県側は、広く防御権保障を司る弁護権をどのように考えているのだろうか。
接見で、不当な処遇を訴えられても耳を貸さないのだろうか。耳を貸すことが弁護人の義務だと思うなら、そのための被疑者ノートをどうして否定しようと思いついたのだろうか。

とまあ、このように、県側の主張は少々どころか相当、度を超しているように思われた。
しかし、弁護権がどういうものであり、被疑者ノートが何のために編み出されたか、という点において、弁護士界は一枚岩になれないものだろうか。死刑制度や、刑事裁判における被害者の参加権などで百家争鳴になるのはまあ分かるが、弁護権や被疑者ノートの性質について、見解が分かれるというのは理解しづらい。幾ら依頼者の利益と言っても、言って良いことと悪いことがあるのではないか。まさか御自分の弁護活動に於いて、依頼者に、「被疑者ノートには相談したいことのうち取調べ関連しか書けないよ」「毎日ちゃんと検閲して貰いなさいね」とでも助言しているのだろうか。

裁判所は、被疑者ノートに対しては、特段の事情が無い限り、被疑者ノートかどうかの外形検査しか許されない、とした。もし万が一、不適切な記載があれば、弁護人が職業倫理に基づき適切に措置するだろう趣旨も書かれており、我々は、その負託に応える必要があることは勿論である。

(弁護士 金岡)