破防法や団体規制法の適用を受けるような団体は、社会から異端視、危険視され、理屈抜きに叩かれる。法律は本来、そのような権力の暴走を抑止するための装置である筈であるが、それは理想、理念論に過ぎない。悪くすると、人権派を気取る弁護士でも、関わりを敬遠する始末である。
と、前置きが長くなったが、団体規制法案件に関わるようになって暫く経つ。聞けば聞くほど、無法地帯というべき攻撃が続いているが、地域によっては受け皿弁護士を探すことすらままならず、更に無法状態が加速するという悪循環である。苦労して司法機関に持ち込んでも、裁判所ぐるみで「あちら側」であるため、まあ勝てない。

それだけに、現場で何が起きているのか、ということを書きとどめておく価値はあるだろう。その一端を紹介しておく。

団体規制法の8条の再発防止処分に基づき、施設の使用禁止命令を受けると、「団体の活動として」もしくは「当該団体の用に供する目的で」当該施設を使用することが犯罪になる。そして、施設の使用禁止命令は、例えば、建物奥の居住区域は使用禁止でないのに、玄関、階段、廊下、台所、トイレ等の使用を禁ずる。勢い、玄関、階段等を利用する場合、それが「団体の活動として」もしくは「当該団体の用に供する目的で」と疑われれば現行犯逮捕されかねない事態となるから、「団体の活動として」もしくは「当該団体の用に供する目的で」とは一体いかなる場合かが明確化されていなければならない(罪刑法定主義)。

そのような争点で係争しているのであるが、国側は「明確だ」と主張し、裁判所も当然の如く「明確だ」という。

しかし現場ではそう簡単な話ではない。
例えば使用禁止区域で休憩する行為、公安調査官によればこれは犯罪になり得るという。私物を取りに入る行為もそうである。公安調査官の求めに応じて、その調査活動に協力するために使用禁止区域に立ち入るのは犯罪ではないが、公安調査官の調査活動をビデオやメモに記録する行為は犯罪だといわれる。台所の水道水を飲むのは構わないが、宗教的意味合いのある飲食物を口にするのは犯罪だといわれる。
このような、恣意的としかいいようのない事態を前にしても、裁判所は「団体の活動として」もしくは「当該団体の用に供する目的で」かどうかは明確だと言い切る。

話にならないとはこのことであるが、更に調べていくと、四半世紀も前の国会では、政府自身が、このような犯罪規範は明確ではないと認めていた。
曰く、「団体のためにするいかなる行為も禁止されるということは委員御指摘のとおりでありますが、その団体のためにするいかなる行為ということの構成要件の解釈につきましては、・・(中略)・・やはり類型化して、・・(中略)・・、そういうものについて具体的な指針と申しますかガイドラインのようなものを行政解釈で明らかにして、そして団体側あるいは一般社会に公表することは必要であるというふうに考えております。」(第136回国会衆議院法務委員会(第2号・平成8年2月23日))等である。

「団体のためにする」みたいな犯罪規範は、法律だけでは不明確だと、四半世紀も前に政府が認めていたのに、現在の裁判では上記の体たらく。知性、識見の退化は目を覆うばかりである。

訴訟において、被告指定代理人に上記議論を示して、団体規制法の適用についてガイドラインがあるか説明を求めると、「関係ないから回答しない」と、こうである。
あるかないかくらい言えるだろうと等と、「関係ないから確認していない」という。
裁判所が、「あるという前提では判断できないがそれで良いのか」と念押しすると、「それで異議はない」という始末。
ガイドラインがあるかも知れないのに、ないという訴訟法的事実の形成を受け入れるというのは、最早、理解しがたい。まあ、裁判所がどうにかしてくれるだろうとお考えなのであろうが、お寒い限りである。

2024年現在、このような事態が平然と罷り通っている、ということは、やはり、知られるべきだと思う。このような不明確な犯罪規範が是とされる前例を作れば、それが徐々に社会全体の首を絞めていく、それが「いつか来た道」であろうと思う。

なお、団体規制法なんぞに関わっているということを公表するのは事務所の経営上、不都合だという、ありがた迷惑な忠告も時にある。そういう弁護士とのお付き合いは、金輪際、御免被ることにしている。

(弁護士 金岡)