本年2月の無罪判決である。担当弁護人に少し助言させて頂いた縁で、判決などを見せて頂いた。事情により判決年月日などは記載できないが、興味深い内容であり、取り上げる。

事案は自己使用事件であり、被告人は「夫との性行為の際に夫が密かに覚醒剤を注入したものだと思う」「夫が覚醒剤の使用を再開していたことは知らなかった」と主張。夫も同様の証言をした。
検察官は、
・ 寝室に覚醒剤用品が散らばっており再開に気付かないはずがない。
・ 被告人は警察が来た時、慌てて夫に呼び掛けている。
・ 夫証言を前提とすると被告人は覚醒剤の薬理作用に気付いたはずなのに、これを否定しており、その供述は信用できない。
等々と主張した。

薬理作用を感じたかどうかについて、裁判所の判断は、要旨「どれだけの分量が被告人の体内に摂取されたのかは明らかではない」「検察側証人の証言によっても、興奮、食欲不振、口渇等を含む副作用が生じるのに必要な分量は不明」「そもそも使用された覚醒剤の純度等は不明」として、検察官の主張を排斥した。

全く以て文句の付けようのない判断であろう。覚醒剤の薬物動態は(人体実験が困難であるため)十分に解明されているとはいえず、「これだけ使えば間違いなく症状が出る」という領域の立証すら困難である(極端に大量であればともかく「通常使用量」程度では困難である)。まして、使用量、純度も不明となると、検察官の主張が無理筋であることは明らかである。

ところで、弁護人から尋問調書の提供も頂き、要するに「薬理作用を感じたはずだ」とする検察側証人の証言を検討したが、案の定、ヒロポンの添付文書を読み上げているだけで、およそ覚醒剤の薬物動態に専門性があるとは見受けられなかった。
例えば次の如くである。
Q1)添付文書によれば症状によっても投与量を増減するとあるから、薬理作用が出にくい場合もあるのか? A1)個人的な印象になってしまう・・どうでしょうね、可能性としてはゼロではないですけど、どちらかというと(副作用が出てしまうという)心配の方が大きいのかなと。
Q2)粘膜からの吸収は、より短時間で血中濃度が上がると言うことか? A2)動態のデータというものが文献的にはなかったが、恐らくそうではないか。
Q3)血中濃度が高ければ薬効が強い、血中濃度が低ければ薬効が弱い、ということでよいか? A3)そうですね。

以上のような議論は、実にいい加減なものである。A1A2は、科学的論拠を示さず個人の印象を述べているだけで、全く科学性がない。証人に専門性がないことが如実である。
A3に至っては、私の手持ち文献「覚醒剤中毒の臨床」(小嶋亨ら)(法医学雑誌37巻5号527頁以下)で「血中濃度と症状が必ずしも相関しない例があった」と報告されているため、科学的に誤りであることが明らかである(一例でも矛盾例があれば、間違いなく比例関係(相関関係)にあるという結論は科学的に誤りである)。

この種の議論を刑事裁判の中で何度も経験すると、検察側証人が本当に専門家証人なのかという点に疑問を持たざるを得ない場面に遭遇することがある。
証言予定を提出させると、論拠が全くない、若しくは十分な論拠がなく、尋問が成立しないだろうと分かる場合、弁護人は、非科学的な証人の証言が有耶無耶のうちに採用されるような事態を阻止するため、そこから防御を始めなければならない。
今回の証人が、少なくとも根拠が無い、或いは明確に誤りの証言を行っているのも、明らかに専門性がないからであり、人選自体が失敗している。前記判決の援用部分が、「検察側証人の証言によっても、興奮、食欲不振、口渇等を含む副作用が生じるのに必要な分量は不明」としているのは、端的にそれを表している。

関心分野であったことと、この程度の非科学的裁判があちこちで行われているのだということを紹介すべく、取り上げた次第である。

(弁護士 金岡)