中部弁連会報115号(2025年2月発行)に「中弁連管内における人権擁護大会の歴史を紐解く」という特集記事が掲載されていた。刑事関連を紐解くと、

1958年第1回大会の決議1「捜査官の取調に予断排除の件」、決議2「監獄法改正の件」、1964年第7回大会決議1「監獄法並施行規則の改正方の件」、決議2「弁護人と接見後被害者に対し会談追求に関する件」、1975年第18回大会の決議2「刑事拘禁法制定に関する決議」、(1983年、1992年、2000年、2008年と飛んで)2016年第59回大会の決議3「死刑制度の廃止を含む刑罰制度全体の改革を求める宣言」、2024年第66回大会の決議2「刑事法廷内における入退廷時に被疑者・被告人に対して手錠・腰縄を使用しないことを求める決議」、というような具合である。

第1回大会の決議1「捜査官の取調に予断排除の件」は、二俣事件、徳島ラジオ商殺し事件、京都五番町事件を挙げて、「関係者を逮捕し、予断をもって被疑者・被告人に不利な供述をさせたり有利な供述を取り消させたり」することを慎むよう求めたものであるが、今なお、このような事態は後を絶たず、70年近くを経てなお、冤罪を生み続ける1つの原因となっていることを痛感せざるを得ない。
関係者の事情聴取も全部録音録画し、証人テストも廃止しないなら全部録音録画する。それくらいして当然であるのに、70年前から問題視されていたことを、未だに改善しようとせず冤罪製造を続けている捜査の手口を見ると、進化を拒む理由を邪推したくなるのも当然である。

第7回大会の決議2については、特集記事の中で、接見交通権の確立が人権擁護大会で取り上げられたのは7回を数えると指摘されている。現在、我々が捜査弁護においてそれなりに実効的な援助を提供できるのも、このような先人の努力あってのことと思うと、それを発展的に継承することが責務だと自覚を新たにしなければならない。

第66回大会の手錠・腰縄問題に関する決議は、本欄2024年10月4日でも取り上げた。早い時期に、過去の笑い話になるのではないかと思っているが、一部裁判所・拘置所は凄まじく頑なである(他方で、弁護人の申し入れに即応する裁判官もおられ、そういう場合、拘置所側は得てしてなにも言わず従う)。70年後にまだ解決していない、等となってしまっては「人類史の恥」であり、現場の努力が必要である。

相当割合において刑事関連が取り上げられていることが分かる。苛烈な人権侵害に対し、擁護を叫ぶ歴史は、即ち刑事弁護の歴史そのものということである。

(弁護士 金岡)