ひどい検察官とひどい弁護人が組み合わさると、最早、裁判というよりは喜劇じみた事態が生じる。被害を被るのは勿論、被告人であり、そちらにとっては悲劇だ。
そう思わせる事案に遭遇し、怒りを通り越して空恐ろしさを覚えている。

以下、二回に分けて取り上げる。

まず、次の文章を読んで欲しい。

「公判前整理手続が実施されなかった以上、検察官には任意開示に応じる法的義務がないため、例え、刑事訴訟法第316条の15第1項が規定する類型証拠や同法316条の20第1項が規定する主張関連証拠に該当する証拠を検察官が保管していたとしても、これの開示申入れをすることは弁護活動として当然行わなければならないものとはいえないものと考えます。」

これは一体なんだろうか。日本語の筈だが理解すら覚束ない。

これは、経過は続編にて後述するが、原審弁護人が証拠開示を半ばに証人尋問に突入した案件の控訴審弁護人として、原審弁護人に対し、証人尋問に突入する前に、まだ全部開示に至っていない当該証人の供述録取書等や(身体拘束された共犯者であったので)録音録画媒体の開示請求をしなかったのはどうしてですか、という質問を出したところ、上記の回答が届いた、その結論部分である。

こちらとしては、ひょっとして「まだ開示されていない供述録取書等があるとは思わなかった」とか「録音録画媒体の開示請求を失念していた」程度のことかと思っていたのだが、この回答はそうではなく、非整理手続事案(後述の通り却下された)であるから検察官に証拠開示義務はなく、従って弁護人は証拠開示請求権がないから、証拠開示請求をしなければならない義務がない、という。
つまり、(証拠開示が不十分だった自覚があるのかどうかは分からないが)それ以上に証拠開示を求めていくという気がなかった、ということらしい。

当人は63000番台の弁護士さんなので、75期、ということは2年半くらいの経験年数だろうか。それにしても、ひどい。ひどすぎる。被告人が哀れである。

本欄の読者には今更言うまでもないが、最決1969年4月25日が証拠開示命令の途を開いたのは歴史的事実であり、弁護人は十分ではないにしろ一つの武器を得た。その後、整理手続による法定証拠開示請求権が付与され、これが非整理手続に逆輸入され、非整理手続でも同水準の証拠開示の遣り取りを行うことが当然となった。再審でも、証拠開示に関する規定整備は必然の状況である。証拠開示の拡大は即ち刑事弁護の歴史そのものであり、拡大するにつれてより成果を上げられている。
法定証拠開示請求権があるのは整理手続のみであるが、整理手続以外で証拠開示請求しないことは無論、最善弁護義務(職務基本規定46条)に反する。整理手続以外では証拠開示請求をしなくて良いなどというのは、少なくとも地球とは別の世界線の話であり、前記回答は、この歴史に唾するものである。

各論的に言えば、検察官証人の反対尋問準備として、その証人の全供述録取書等(録音録画媒体含む)の開示請求を尽くすことは極めて基本的なことであり、不足がないか目を光らせるところまで当然になすべきことである。それなのに、このような類型的な証拠はもとより、更に有利に援用できる主張関連的な証拠まで、当然に開示を求めていくべき義務はないのだと真顔で言う弁護士がいるとは、唖然とする。信じたくないが、これが現実である。

実は、本稿は、当初は、疎い弁護人を侮る検察官が証拠開示において不正をなしたことを報告する論調で執筆していた(検察官の不正は次回取り上げる)。侮られても仕方のない弁護人ではあるが、そうはいっても検察官の不正の方が問題視されるべきだろうと思っていたのである。
しかし、こうもひどい主張をされると、相対的に検察官の方がたちが悪いという限度で弁護人を擁護する気も失せる。というより救いようがないから擁護のしようもない。
弁護士資格さえあれば刑事弁護が出来るという制度自体に間違いがある、と結論付けざるを得ないひどい事態である。

もし当の御本人が本欄を読んで、それでも反省出来ないなら、お願いだから今後金輪際、刑事弁護には手を出さないでほしいと切に願う。

(2/2に続く)

(弁護士 金岡)