季刊刑事弁護123号の特集①である。
寄稿&座談会への参加を打診されたので、喜んで応じた。
この特集を読めば分かるように、良心的な刑事弁護人は依然として、日々、捜査機関の証拠不開示に対し対応を余儀なくされている。自身もその一人として、思うところを述べる機会を頂けたことは有り難いものである。
特集は、事例9点と、座談会から構成されている。
集められた事例の大きな特徴の一つは、不開示に対する検察官の説明が不審であり、裁定請求を起こすと、後から証拠が出てくる、という流れが目に付くことである。
例えば事例②は、裁定請求を行うと、検視写真のデータが「警察の他の部署に紛れてしまっていた」として、後から出てきた事案である。事例③も、薬物事件の捜査過程の写真が「削除済み」とされるも、具体的説明がなかったことから裁定請求(及び消去したとされる担当警察官の尋問請求)に進んだところ、いきなり「発見された」。
事例④のように、検察官が「フェアな姿勢」で調べ直した結果、無罪に直結する証拠があとから「発見」された事例もあるが、相対的に多くは、検察官の当初説明は正しくなく、いよいよ追い詰められると、後から証拠が出てくる、という流れである。
検察官に悪気があるのか、不熱心の所産かはともかく(なお、本欄で既報の、平間検察官が故意に証拠隠ししたと疑われる案件も両方とも事例報告されている)、2025年現在の証拠不開示の実情として、このような事例が多く集積されたことは、裁判所の意識改革のために時宜を得たものであろうと思う。蓋し、検察がないといえば、それ以上、進もうとしなくなる裁判官は落第であり、具体的に首肯しうる説明がなければ、証拠隠しを推定するのが正しい。それが経験則である。
座談会は、以上のような実情を確認し、その上で、どうすればこのような事態を防げるかについて議論が活発に行われた。
私からは、「異動のついでにスマートフォンのクローンデータを削除した」という信じがたい事例や、愛知県警が行っている「5ミリを残して尿は捨てる」運用を挙げて、警察に証拠の要不要を判断させる仕組みをどうにかしなければならないことを指摘した。
これに対し、斎藤司教授の論は何れも示唆に富むもので、乱暴に要約すると、第一に証拠が国民の公共財産であるという意識を踏まえるべきこと(カナダの最高裁判例)、第二にドイツの「捜査の過程を全部開示する」仕組みの導入、第三に、現場の運用任せにせず法律で規制すること、が、近い将来の課題であろうと思われた。
証拠の不開示は、不開示が事実であれば、防御権侵害であり、裁判妨害であり、裁判所も、弁護人側に立って問題視することが当然の問題である。
また、仮に不開示が事実でなかったにしても、不審をもたれ、検察官の説明が誠実さを欠くものであると、手続が紛糾して裁判は停滞するから、やはり裁判所は、これを厳しく咎めるべきである。当たり前であるが、検察官は公益の代表者であり、党派的な対応を許容する理由はない。証拠は検察官の私物ではないし、「釈明の要を認めない」とか「存否を含め明らかにしない」対応を取る権利も資格もない。
本特集は、裁判所の意識を変え、制度を変えていく可能性を秘めていると思う。
(弁護士 金岡)