愛知刑事弁護塾では、これまで元裁判官を講師に招聘したことが二度ある。
今回は三度目。令状裁判の経験が豊富な若手の元裁判官という点で、過去二度と差別化できる。
なにしろ日々、令状裁判をされていた経験をお持ちで(数名で手分けしても1日に十数件ということもあるとのこと)、勢い令状裁判が話題の中心となった。それ以外では、裁判所から見た「ケースセオリーに基づく弁護」(ピンと来ない裁判官も多かったらしい)などという話題もあるにはあったが。
令状裁判について、同講師の見立てでは、特殊詐欺、薬物、不同意わいせつ、ストーカー、共犯、組織的犯罪あたりは(勿論、個別性に留意した審査をするとは言うものの)類型的に2号で勾留されてしまう発想ではないか、とのことである。このうち、薬物や不同意わいせつは、弁護人的には寧ろ、罪証隠滅はさほど懸念されづらい類型と観念するだろうから、その隔たりは大きなものがある。薄々、分かっていても衝撃である。
では、裁判官は何処まで「罪証隠滅」(それは、実効性があり、現実的に実行されるだろう蓋然性を伴う必要がある)を見通せるのか?というと、「解像度は粗い」という。いわば「なんとなく」で勾留しているのではないかと、改めて感じたところである。
この点、弁護人が、考え得る「罪証隠滅」を悉く否定してみせるというのは不可能であるから、やはり検察官に具体的に主張させ、それを審理命題として弁護人に噛み合った反論を行わせるという対審構造が必要になるのではないか。また、準抗告審を実質化する上では、原決定裁判官が積極的な勾留理由を具体的に起案することが必要になると思われる。
この点を敷衍すれば、現状では「2号」「3号」くらいしか書かれないが、書こうと思えば「勾留の必要性は別紙記載の通りである」として、その脳の中にある具体的な懸念点を書けないはずがない(そうして起案することで、自分の「なんとなく」が誤りであったと気付くこともあろう)し、弁護人はそれを勾留状謄本ごと謄写出来るから、それにより噛み合った準抗告申立が可能になる。
以上のように弁護人の反論権を保障していかなければ、勾留を要求する検察官に対し、「解像度が粗い」裁判官は抗する術なく安易な勾留裁判が繰り返されるだけだろう。1日に十数件もやっていれば、思考停止に陥りがちにもなろう裁判官に、気付きを与え、新たな視点、武器を供給するには、やはり対審構造である。
じっくり記録に取り組み、弁護人に反論させ、裁判理由を具体的に明らかにする。何一つ、乱暴な要求ではないのだから、それが不可能な人的体制が憲法違反を招いている、と言えるだろう。本欄でも何度か主張しているが、裁判所には適正な裁判をする義務があるのだから、それに見合った人的体制を確保しなければならない。
勿論、勾留裁判は迅速でなければならないから、弁護人も即時、行動に移す必要がある。ちょっとした確認や署名の取り付けなどに、ウェブ接見をという声も上がろう。ともあれ現状が考え得る最善からほど遠いことだけは確かだ。
(弁護士 金岡)