参政党が「日本国国章損壊罪」を法案提出したという。
報道によれば、外国国章損壊が犯罪なのに日本国国章の損壊が犯罪でないのは「歪だ」というのが提案理由という(参政党のウェブサイトに掲載された提案理由は「処罰規定の整備の必要がある」という結論のみである)。
さてそこで外国国章損壊罪の保護法益はなんだったかなと条解を紐解くと、そのような行為が「国際紛争の火種となり、その処理を誤ると外交問題にまで発展する危険性がある・・国家の対外的安全、国際関係的安全を保護法益とする」とされている。立法の沿革は未調査だが、今時ではピンとこない。古い時代の観念、それも外交的地位が低い時代の産物では無いかと思われる(現米大統領下の米国の諸行為に反対意思を表明するべく自前の星条旗を燃やしたとして、何ら問題はなかろうし、何なら、そのような活動を萎縮させかねない外国国章損壊罪の方を廃止したら良い)。
立法の沿革はさておき、日本国国章の損壊について、日本国民を行為主体と観念した場合、そのような行為が外交問題に発展することはあり得ないから、保護法益の観点から、「外国国章が損壊された場合と同じように」日本国国章の損壊を処罰しようという議論は、破綻していることは明らかである。「歪」が主たる提案理由なら、真っ当な法律的素養があれば一笑に付される程度の話に相違ない。
参政党の提案では、第4章「国交に対する罪」に本罪を新設し(94条の2)、章の名前まで変えようとしているが、それこそ法体系、保護法益を無視した「歪」なものである。まあ、あの紙屑以下の憲法案を出してくる党だからお察しだが。
真面目に議論するなら、日本国国章の損壊は日本国に対する犯罪なのだろうから(多分・おそらく・きっと)、第2章(内乱)第3章(外患)の方に位置付けるべきで、第4章の末尾に置くのは一番奇妙である。とはいえ、日本国国章の損壊が内乱外患に擬すべきというなら、最早それは思想統制であって合憲の余地はないだろうが。
次に刑法の謙抑性に照らせば、十二分な立法事実が要求されることは言うまでもないが、日本国国章の損壊に関し処罰しなければ何か困った事態が生じているということは、ついぞ聞かないから、立法事実もない。
この点、参政党の記者会見では、「日本国旗に×を付けて選挙運動を妨害された」ということも盛んに強調されていた。選挙妨害なら別途の取り締まりが可能であるから、これを日本国国章の損壊罪に繋げる論法は意味不明である。同党が国粋主義を煽り、反権力的立ち位置を取り締まろうというのが本音であることが透けて見える。
しかし、君が代斉唱強制が問題となった最一小2013年6月6日判決が、「反対する思想を持つことを禁止したりするものではない」として、その合憲性を糊塗したことを踏まえても、いわゆる「日の丸」が第二次世界大戦における日本の海外侵略に象徴的に用いられたことから、これを国旗と認めない考え方も未だ根強く、そうすると、象徴的存在としての国旗に対し×を付ける最も端的な反対意思の表明を禁じることは、「日の丸」への反対思想の禁圧そのものというべく、違憲であろう。
旗を掲げる自由もあれば(無論、時の総理大臣のように「一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」と唱える自由もある)、旗に×を掲げる自由もある(教科書の日の丸を黒く塗りつぶしたとて差し支えない)。それが当たり前である。何故一方を強制しようとするのか、極度に偏向した思想というものは、真に度しがたく、それに日の丸を振って賛美する輩となると実に惨めなオツムである。
ちなみに、時の総理大臣は、同人の2004年8月12日コラム「国旗への侮辱」(https://www.sanae.gr.jp/column_detail327.html)にて、「子供の頃から国旗や国歌を尊重すべき旨を叩き込まれて育って」いる他国を賞賛して、「自国民による国旗侮辱罪」も規定すべきとしている。最早、完全な思想統制である。こういうことを許していると、君が代を(「君」の解釈を誤魔化そうという声の大きな勢力がいるが)皇室礼賛と理解すること自体が国歌(国家)に対する侮辱罪だと言って取り締まりの対象になりかねない。そもそも論として、君が代日の丸は海外侵略の証であり論外だが、仮にもっとましな国旗国歌だとしても、旗や歌如きを尊重しなければならないということ自体に虫唾が走るし、そういう尊重義務が思想統制を生むという歴史に何も学べない人間は、愚かである。
ともあれ、軽挙妄動にというか、どさくさ紛れの火事場泥棒というか、そういう流れで立法して良いようなものでないことは間違いなく、もしも「真面目に取り合わざるを得ない」というなら、保護法益、立法事実、合憲性を、法律専門家の意見を踏まえてきちんと議論する必要がある(たまに国会の質疑をみることがあるが、大方の国会議員は、義務教育程度の法律学しか修めておらず~ということはつまり、無いに等しいと言うことであるが~、保護法益とか立法事実という用語すら知らないのでは無いか?と疑問を持つ)。国粋主義を煽り、極端な思想で一部大衆受けを狙うような勢力に引っかき回させて良い性質の問題ではない。
なお、本稿脱稿後、「立法事実がない」「立法事実がない刑罰法規は過度の強制に繋がりかねない」とする岩屋毅前外相の意見に接した。これへの反論は難しいだろう。
(弁護士 金岡)

















