昨日24日、大阪府警相手の国賠(本欄で既報のオートロック無断侵入事件)に勝訴したので、そちらを報告したい気もしたが、やはり続き物なので、前回紹介した一審強の議事状況に沿って、関係当事者として寸評を行うことにする。

(検察庁の主張)❶刑事事件において、証人の証言内容等に関する批評は法廷内で行うべきであり、法廷外において、個人を特定して証言内容等を批判することは、いわゆる場外乱闘的な行為である。

刑事事件であろうとなかろうと、証言内容を法廷外で批判することが「場外乱闘」だと決めつけること自体が理解に苦しむ。公判後に当事者が記者会見を開き、相手方の証言を批判したり、あるいは逆に証人自身が記者会見に臨んで社会の関心事に応えたり、そういった営みは当然に許されよう。
何が「いわゆる場外乱闘」なのかは知らないが、出だしから的外れである。
こと本件記事について言えば、中立公正であるべき専門家証人である。その専門性に関して法廷外での批判が許されないなどという意見に耳を傾ける余地はないだろう。

(検察庁の主張)❷刑事裁判に協力してくれる証人等を萎縮させ、証人出廷を躊躇させたり証言内容に不当な影響を与えたりする可能性も否定できない。

社会から監視を受けることを拒否する専門家証人は、専門家証人の資格がない。
本件記事でいえば、専門家証人、それも医師である。その証言は科学的であることが求められ、科学的であると言うことは、事後検証に耐えること、同じ知見、方法論に基づけば同じ結論に至ることが厳格に求められる。そのような外部からの検証に晒されることを拒否するならば、それは科学者であることを捨てていると同義である。科学者であることを捨てているような証人を、科学的であるべき裁判に連れ込むことは認められないから、躊躇してくれて大助かりである。
こと本件記事は、例えば被害者本人についての議論ではない。公益の代表者であるべき検察庁として、この見識の低さはどうにかならないだろうか。

(検察庁の主張)❸以前に聴取した内容と証言内容が異なっているなどと批判し、その証人の人格まで辱めるような記述をしたインターネットブログの記事が、当該事件の弁護人名義のアカウントにおいて、証人の実名を明示して公開された事例があった。

本件記事は「その証人の人格まで辱めるような記述をした」ことなどない。
医師本人からも、名古屋地検、その他の関係者からも、そのような指摘は受けていない。
「余り考えたくはないが、カンファレンスでは敢えて適当にお茶を濁して公判では全然、違う証言で不意打ちしてくる「御用医者」がいることにも備えておく必要がある。」の叙述も、殊更にカンファレンスで嘘を吐かれる可能性を考慮して録音等の備えをすべき一般論を述べているに過ぎないことは、誰の目にも明かだろうし、故に一審強でも、本件記事が特定された上で、検察庁の主張は同調を得られていない。
事前に該当記事を特定させ、誹謗中傷の如き空中戦ではなく、地に足の着いた議論が出来た成果である。

(弁護士会の主張)❹❺として、一般論としての公開原則の趣旨、特に専門家証人に対する手続的監視の必要性が指摘され、本件記事のような営みは「そのようなことこそむしろ公正適正な刑事裁判の実現に資する」と指弾されている。

本質的に重要な指摘であり、且つ、正しい。
かの「古畑医師」は抜きん出て有名であるが、それ以外にも、科学を捻じ曲げたと指弾される証人は後を絶たない。その証言が公開され、科学的に検証され、雪冤に至る歴史を思えば、弁護士会が検察庁(=冤罪加害者側)の主張に業を煮やしたであろうことは容易に理解できる。

(検察庁の主張)❻例えば、証人の証言内容を冷静に批判するのみならず、同証人の人格まで傷つけるような表現が用いられることに問題はないか。

人格非難が何処まで許されるかは、その証言の問題性によりけりと思う。一般論として敢えて人格非難まで踏み込むべき場合は多くはないだろうが、人格を非難されても仕方のない問題行動というのも、やはり存在するだろう
その限りでは言われるまでもないことであるが、ともあれ本件記事は井原哲医師に人格非難を加えたものではない。そのような読み方が出来ないことは、既に述べたとおりである。本件記事が問題だと言いながら、極端な事例により正当化を図ろうとする。つい先日、馬場嘉郎裁判官を取り上げたところでも述べたが、そういう手法はrhetoricとすら言わない。

(検察庁の主張)❼証言内容を批判するにしても、当該証人の実名まで挙げる必要があるのか。❽裁判に協力していただく国民に、裁判所に出頭するとこのような目にあうという印象を与え、国民の協力を得られにくくなるという環境を作る。

この問題については十分に述べた。
専門家証人は実名を挙げられるべきである。いや、挙げられなければならない。
それを拒否するなら、専門家証人を名乗る資格はない。
そのことと、被害者や、良心から手を挙げる目撃者を、混同すべきではない。
弁護士会が「❿専門家証人は自分の専門的知見に基づいて証言をする者でありその証言の当否は公共性に関わるから、目撃証人のような一般証人とは切り分けて考える必要があるのではないか。」と反論したのも、尤もである。

(検察庁の主張)❽(❾)当該事件の裁判所は、当該証人の公判廷外での説明と公判廷の証言の中身にそごはないとの判断であった。

この検察庁の主張は、最終的な判決で、相反供述が他の証拠との総合評価において、事実認定として、どのように評価されたかに言及したものであろうが、本件記事は、相反供述として採用されたことを報じたものであるので、何故、判決から遡って批判されなければならないのか、理解に苦しむ。
より言えば、記事を掲載した時期自体が、判決より前である。
「対抗言論」をしたければ、幾らでもどうぞであるが、裁判所が相反性を認定した事実は消えないのだから、弁護士会が、本件記事への批判としては的外れであるとして「❾ブログに書いてある事実関係が正しいのであれば、ブログで書かれているような批判は当然に起こりうることであって、なぜこれが問題とされるかそもそも理解できない」としたのも当然である。
言えば言うほど「ドツボにハマる」とは、このことであろう。

(付記)
関係当事者として、言いたいことは述べた。
インターネットが発達して、対抗言論を思想の自由市場に出すことが容易になったことの利点である。そして、一審強の議事も、公開資料に基づき余すところなく説明出来たので、あとは、関心のある向きの議論に委ねたい。
勿論、名古屋地検その他の関係方面からの直接の申入れも、歓迎である。

(2/2・完)

(弁護士 金岡)