渡辺修先生古希記念論集の安部論文「保釈と電子監督」を読んだところ(2024年5月発刊の同書は、しかし購入するだけして読んだ記憶がない)、韓国憲法裁判所の保釈理解に言及されていたのが目にとまった。

そのまま引用させて頂くと「身体の自由を最大限保障しようとする憲法の精神に基づく不拘束裁判原則と、憲法27条4項が定める無罪推定原則を具現し、自由な身体活動を通じた家庭的・社会的その他あらゆる面における憲法10条所定の幸福追求権を被告人に実現させつつ、証拠収集等の十分な裁判準備をすることによって、当事者対等主義の具現の下で憲法27条1項が定める公正な裁判を受ける権利を保障しようとすること」であるという(同書184頁)(1993年12月23日の判示らしい)。

身体の自由の最大限の保障。
無罪推定原則の具現。
幸福追求権の実現。
十分な裁判準備。
当事者対等主義の具現。
公正な裁判の保障。

どれを一つとっても、特別なことではないのに、こうしてまとめられると素晴らしい迫力がある。刑事訴追されたというだけで、上記の諸権利のどれ一つとして奪われる理由はない。保釈は正にそのためにある、と思い知らされる。

翻って我が国の検察官は、平然と、裁量保釈には特別な理由が必要だと主張し、これに追従する裁判官も後を絶たない。
そのような理解は、身体の自由や幸福追求、充実した公判準備に特別な理由が必要だと言っているのと同義なのだから、反憲法の極致であろう。

(弁護士 金岡)