「はじめての公共訴訟」(井桁大介ら、集英社新書)を読んだ。
どこかの書評で見かけたのだったか、地元の図書館でたまたま見かけたのだったか、とにかく専門書ではなく一般向けの書籍である。

公共訴訟の定義は(見落としでなければ)本書中で明確にはされていないが、個の権利救済を超えて公共政策の変化や社会の発展の方向性の転換をもたらす訴訟、程の意味に用いられていると思われる。
取り立てて目新しい内容を含むものではないが、米国の公共訴訟の歴史や、本邦の憲法研究者らの研究会の紹介あたりは興味深く読んだ。
根拠はないが、こういった問題意識では弁護士の方が裁判所の先を行く筈なので、手軽に最先端を摂取できる本書は案外、裁判所の参考になるかもしれない。

本書132頁からは、公共訴訟の勝率を類型毎に算出している。
勿論、民間データベースは画期的な勝訴例は投稿されるが、その背後にある幾多の負け事例は投稿されない傾向があるので(本書でも指摘されている)、その勝率は高く出すぎている感が強い。
本書は更に、受刑者・被収容者の権利に関する訴訟等が勝率を押し上げていることにも言及し、それらは個別的権利侵害に対する救済であるから公共訴訟とは性格が異なるとして、勝率から控除すべき考えを示している。

この点は異論がある。
例えば先日、本欄で報告した、公安のヤミ金紛いの自宅押し掛け行為の国賠事案は、確かに直接的には原告本人らの私生活の平穏が害され、これに対する救済を求めたものであるが、その真価は、その背後にいる同様の被害者に対する法益侵害を予防的に防止するため、公安が組織として行っているヤミ金紛いの行動の違法を問い、教化、抑制するところにある。
国賠事件の中には、特定の公務員が逸脱、暴走したようなものも当然にあるが、寧ろ多数は、当該組織においては当該違法行為が当然のこととして行われており、それを糺すには国賠の方法論を借りるしかない、という性質がある。誰かが声を上げなければ違法行為は連綿と続き、誰かが、(経済的には全く見合わずとも)やるしかない。

上手くまとめた良書で、ひっかかったのは上記の点くらいなものだが、折角、引っかかったので本欄に書いておくこととした。

(弁護士 金岡)