引き続き、神戸地判の判決理由の検討を行い、総括する。
【④】
判決理由では、第一に、既存の文献上の議論として、覚醒剤の摂取量と検出限界について参照している。そちらの問題性(定番で用いられる文献の証明力に根本的な疑問があること)は、別記事で書いたことがあるが、今回は深入りしない。
ここでの問題は、仮に「覚醒剤の場合、0.3㎎摂取でも(摂取から1日以内の)尿中から検出可能」だとして、それがコカイン事案に何の関係があるのか、ということである。
裁判所は、「覚醒剤の場合、0.3㎎摂取でも(摂取から1日以内の)尿中から検出可能」「だから」「コカインの場合も、0.3㎎摂取でも(摂取から1日以内の)尿中から検出可能」「なので」、Aは、せいぜい0.3㎎しか摂取していない合理的疑いがあり、それは、正規使用でなく回し飲みでも有り得る分量である、と言いたかったのであろう。
しかし、体内における薬物動態も、成分の性質も異なる物質(覚醒剤)の摂取量における検出限界を論じたところで、それをコカインに当て嵌めることなど論理的に不可能なのだから、なぜここで覚醒剤の場合に言及したのか、という話になる。
何度目かになるが、これも、もう全く科学的ではない。
第二に、裁判所は、永見証言を踏まえ、兵庫科捜研では、コカインの場合、0.1㎎の摂取量であっても尿中から検出可能であると認定している。
検察官が反証できなかった以上、兵庫科捜研では、コカインの場合、0.1㎎の摂取量であっても尿中から検出可能である=Aの摂取量が0.1㎎であっても矛盾はなく、それは、正規使用でなく回し飲みでも有り得る分量である、という議論自体は、(正規使用の場合の分量が判決文からは一切不明であることを除けば)まあ、良しとしよう。
問題は、「兵庫科捜研では、コカインの場合、0.1㎎の摂取量であっても尿中から検出可能である」という前提そのものである。
兵庫科捜研は、被験者に0.1㎎のコカインを飲ませた人体実験を行ったのだろうか。そうでないとすると、その経験則における前提をなす「0.1㎎摂取」は、とある犯罪者の自己申告ということになるが、その正確性はどうやって担保されているのか、また、その人の摂取方法はどのようなもので(コカインは摂取方法により代謝速度が大きく異なりうる)、その尿は摂取後どれくらいの経過時間で採尿されたのか(それも自己申告でしかないだろうが)。はたまた、その人が常用者で前日、前々日分が累積しているという可能性はあるのかないのか・・・年齢性別国籍体格、体質は・・・まさか1被験者のみで結論を出しているのでは・・・等々、疑問は留めようもなく噴出する。少なくとも科学論文に耐えるような議論でないことは確かである。
今回は偶々、無罪方向に(少量摂取でも矛盾はない)方向に使われたから、笑い話で済むのかもしれないが、こんな非科学的な証言をする方もする方だし、それを真に受けて判決に書く方も書く方で、折角の無罪判決ではあるが、読んでいて空恐ろしくなったというのが率直なところである。
【総括】
以上、判決理由②~④を科学的であるかどうかという観点から評価してみたが、結果は惨憺たるものである。
先行研究も乏しい中(覚醒剤で「すら」碌な先行研究がない)であるから、摂取量と検出限界の議論や、尿中成分濃度から摂取量を推定することが困難極め、科学的に精緻な議論が困難であることは百も承知である。
しかし、使用機器の検出限界の確認や、厳密な濃度測定、それによるHとAとの尿中成分濃度の正確な対比くらいは、容易に行えただろうし(尿が残されてさえいれば)、特に本件の場合、昼ころ出所してきて、大量には摂取できなかったことが明らかなHの尿中成分濃度と、Aの尿中成分濃度との対比は、相当、有力な事実関係になった(勿論、AとHとの体質の差などで、完全な比例関係を期待することは出来ないにしても)だろうことから、せめてその程度は科学的な審理が求められていたいのではないかと思うし、事後検証性を考えれば具体的数値が必要であった筈だ。
過去にも述べているが、とにかく、全件で再鑑定可能なように尿を保存しておくことである。「尿があればもっとちゃんと審理できるのに」という事例が、仮に500件に1件、1000件に1件でも、それにより誤判が避けられるなら、郊外に大型冷凍庫をあつらえ、判決確定から例えば1年は全量保管するよう義務付けたとして、必要相当な経費ではないか。
そのような努力を払い、少しでも、反証可能性、事後検証性が担保された審理判断を求めていく必要がある。
今回のような、非科学的な判決を野放しにすることは、逆側に振れ得ることを考えると余りに危険である。特に担当裁判官は猛省すべきであろう。
(3/3・完)
(弁護士 金岡)

















