今年の刑事事件は連敗から始まった。どちらも予想を大きく超えて悪質な内容の判決であり(特に、うち一方は、誰がどう見ても被害者供述は大きく虚偽が交えられていると思われるところ、弁論でも相当頁を割いて被害者供述の信用性を論じたというのに、判決では被害者供述の信用性という項目すら立てられず、どうしても維持できない部分を排斥しただけで他は全て素通ししてしまうと言う、耳を疑う内容であった)、理屈よりも情緒的な感想を優先させ、後付けの説明で糊塗する有罪病そのものであった。とりわけ、上記「うち一方」は、これをどうにか覆すことが今年の目標に加わる。

ところで、このように一敗地にまみれた後、依頼者から上訴審の弁護を頼まれることは珍しくない。というよりむしろ、「余所に当たります」等と言われることは殆ど経験しない。刑事、行政の分野はそもそも受け手が少ないので、依頼者に選択の余地が乏しいだけで、余り過大視できるものではないのだが。

心情的には当然、捲土重来を期したいところであり、また、自分が最もその事件に詳しいことは確かだから、是非やりますと応じたいところだが、敗因分析ができているならともかく、そうでない場合、同じ方針で上訴審を受任することが良いことかどうかとなると、近年では「敢えて身を引く」方に考えが傾いている。自らの関与は必要な後方支援に止め、冷静かつ批判的な目で見直して貰うことを重視するのである。
幸い、大阪・東京まで行けば、そのような弁護士に頼み込めないわけではない。かくしてこれまで、3件ばかり、そのように進めてみた。うち2件は既に結論変わらずの結論が出ているのではあるが、上訴審に行くほど勝率が下がる以上、文句を言える話ではない。いずれにせよ、なかなかに難しいところである。

(弁護士 金岡)