【1】
先日、ひょんなことから人生初の証人出廷を経験した。
何度か、相弁護人等の関係弁護士を証言台に立たせたことはあったが、自分が立つと尋問者がいなくなると言うこともあり、自分で立つことはなく、ここまで来ていた。
今回、出廷を経験し、目撃記憶に対する知見を深める貴重な機会となったので、紹介しておこうと思う。

【2】
まだ動いている事件なので具体的なことは書かないが、私がA事件を受任していた依頼者が、その最中にB事件を起こし、B事件を起こした時の精神状態をB事件側で審理する上で、その当時まで依頼者と遣り取りしていた、こちらの事務所の記録や、私の見分内容が必要になった感じである。

証言を求められたのは、証言の打診があった時点で、約1年~1年半以上前の、依頼者の特異な言動、様子の有無内容といったところである。
特異な言動、様子の有無内容なので、「ある」場合は、大づかみな内容は当然、記憶にあるのだが、いかんせん、そのような情報が入ってきた経過や、順序、裏付け資料をどこからどう集めたかや、その後に依頼者から電話があったか留守録を聞いたか、などという、具体的な経過は、殆ど印象でしか記憶に残っていない。
確か誰々さんから電話があったのでは・・と思って事務所の録音を調べると、そのような電話はなく、ファクスだったり、その後は特に連絡を取り合っていないと思ったら、直後に電話が入っていたり・・業務上の記憶であるから、日常生活のそれよりは残りやすいはずなのに、実際のところ、こんな程度である。

【3】
以前、本欄で、ロフタスを引いて、「かなり多くの目撃者は実際に見たこととその後伝え聞いたことを折衷させている」と書いたことがあるが、これに似たような感がある。
概括的にしか残されていない記憶を、残された記録で穴埋めする。
その際、「確かこうだったはず」と思いながら記録を探すので、勢い、自分の思い込みたい方向の記録ばかりを探すことになり、見つからなくても「偶々、記録が残っていないだけ」と片付けたくなる。

このような経験を踏まえると、刑事裁判で数年も前の出来事を、「迫真的、具体的に」説明する証人は、全般的に胡散臭い、と分かる。勿論、悪気があってのことではないかもしれないが、それは生の記憶ではなく、思い込みたい方向に資料を寄せ集めて再構成された物語であって、なので、一見して破綻なくまとめられていて当然であるが、それが真実であるという保証はどこにもなく、真実かどうかを確認するには、残された断片的な記録を丹念に拾い集めて、矛盾点を検証するしかない。
証言は、利益原則に忠実でなければ結論を誤りかねない、そういう脆弱さと危険性を伴う証拠だということがよく分かる。

【4】
あと、尋問は事実を聞け、とは良く言ったものだが、抽象的な質問をされると、非常に答えづらかった。
これは私に尋問者として染みついている習性あってのことなのかもしれないが、例えば冒頭「依頼者さんの普通の状況とは、どういうものでしたか」という質問である。
事件当時の精神状態の異常さを語る布石としての「普通の状況」が聞かれていることは分かるが、「何についての」普通の状況なのかが捉えづらい。私は「事件記録を非常に丁寧に読んで理性的に遣り取りの出来る方」と答えたが、相当、尋問者の意をくまなければ的外れな答えになりかねない。

【5】
以上のように、外から観察、というか当事者として見ることで初めて実感できることも多いのだと分かったことは貴重な経験であった。

(弁護士 金岡)