本日、仙台高裁で被告人席に座った。
といっても、勿論、起訴されたわけではない。

問題になったのは、本欄でも取り上げている、「SBM」=シット・バイ・ミー(高野隆弁護士提唱)絡みである。被告人を弁護人席に、弁護人の隣に着席させる、という理念である(この理念からすれば、そもそも「被告人席」「弁護人席」という区別自体が宜しくなく、「弁護人側当事者席」に一本化すべき時期に来ていよう)。

さて、仙台高裁第1刑事部(嶋原文雄、井筒径子、島田環)は、弁護人の隣に座った(身体拘束を受けていない)被告人に対し、弁護人の前方の長椅子に座るよう指示した(その長椅子には机は用意されていた・・未だに机すらあてがわれない被告人もいるから、その意味では最低まではいかない)。
私は勿論、反発し、意思疎通の必要性、当事者性、近年の全国各地の運用を一通り並べ立てたが(名古屋高裁で、このような法廷警察権行使を受けたことは、ここ10年、皆無である)、首振り合議の末に、一言「前に座りなさい」ときた(前記3名に連帯責任がある)。
そこで更に反発し、「どうしてもというなら弁護人も一緒に前方の長椅子に移動する」と宣言したところ、「どうぞ」とのことであった。
そこで、私も一緒に、前方の長椅子に着席した次第である。
かくして、被告人席に座ることになった。

思えば十数年前、SBMの理念に忠実に行動し始めた初期段階で、「気持ちは分かるが、本件では前へ」という法廷警察権行使を受けた覚えがあり、同じように、被告人と一緒に前方の長椅子に座ったことがある(驚くことに、まだ、裁判官が誰かもまだ覚えている。それだけ大きな失望であったと言うことだろう。)。

素人的にも、誰しも、「弁護人が前方に移動して並ぶのが良いなら、被告人が後方に移動して並んだって良いでしょうが」と感じるのではないか。その意味で、この裁判体は、裁判官としての資質は分からないが、人間としては「随分と詰まらない人達だ」と思わされる。
そして勿論、SBMの理念は、おためごかしではない。審級を問わず、真の当事者は被告人その人である。適時、弁護人が助言するには、隣である必然性がある(常々言うのだが、裁判官が縦並びでは首振り合議など成立しないだろう)。被告人が当事者にして防御の主体であることを弁えるならば、弁護人と切り離して前方に座らせるなどと言う結論に至るのは不合理に過ぎ、理解に苦しむ。このような人達に有罪無罪の運命を委ねざるを得ない被告人を、気の毒に思う。

(弁護士 金岡)