開示すべき勾留理由の基準時を巡っては、勾留時説と現在時説の対立がある。
勾留理由を知り釈放に繋げる(刑訴法上の理由開示→勾留取消の条文の並びが有力な根拠になる)という意味では現在時説に正当性があることは言うまでもないが、勾留時説側からは「起訴前後で各1回しか出来ないという判例法理からすれば現在時説は無理がある」という指摘もあり、長らく決着を見ない。

ところで、既に数年前のことであるが、傷害罪で勾留された被疑者が準抗告審において「傷害結果が軽くないこと」も勾留を正当化する事由であるとして釈放されず、ところが起訴時点では罪名が暴行罪に落ちた、という経過を辿ったものがある。
暴行罪による起訴後初回勾留は、同一性があるので自動更新で行われるが、「傷害結果が軽くないこと」が理由とならなくなったからには今こそ釈放されるべきだろうと言うことで先ずは勾留理由開示を請求したところ、担当の小暮純一裁判官は、勾留時説に立ち、「傷害結果が軽くないこと」をも勾留理由に挙げた(平たく言えば被疑者勾留段階の準抗告棄却理由をそのままなぞった)。
当然、紛糾し、「現在の暴行罪での勾留理由を開示したことにならない」と猛烈に抗議したところ、小暮裁判官は「現在の暴行罪での勾留理由も検討済みであるが勾留は正当である」というので、「じゃあそれを開示しろ」というと「拒否」であった。

これを受けて、勾留理由開示義務違反が勾留継続の瑕疵になるという立論を掲げて勾留取消請求を行ったが、名古屋地裁は「現在時説は傾聴に値するが、そのことは勾留継続の瑕疵にはならない」として棄却。

以上の経過から、勾留理由開示義務違反があっても釈放されないなら、司法救済の在り方としては国賠しか残らないと判断し、国賠請求に踏み切った。率直に言えば、最高裁判所の統一判断、憲法解釈を求める他ない、という事態である。

名古屋地・高裁は、(予想どおり)国賠請求を棄却したが、勾留時説と現在時説の対立について、判断を避け続けている。
例えば名古屋高裁の判決では、勾留理由開示請求に対して開示すべき理由の基準時には争いがあることを指摘し、「したがって、勾留理由開示の手続を担当する裁判官に対し、後者の見解に立って勾留理由開示を行うことが義務づけられているということはできない」として、小暮裁判官の勾留理由開示義務違反を否定した。

しかし、全く以て、どうかしているという稚拙な論理である。
A説とB説の対立があるとしても、正解は一つの筈であり、それを決めるのが裁判所の仕事である。対立があるとしても、正解がB説(現在時説)なら、現在時説に拘束された開示義務があるわけで、小暮裁判官の勾留理由開示義務違反は否定されない。
よくもまあ、高裁裁判官が3人、雁首揃えて、こんな子ども染みた論理で判決を書いて恥ずかしくないものだと思う。
小暮裁判官の勾留理由開示義務違反があるとして、それが国賠法上の違法になるか、なるとして小暮裁判官に故意過失があるかは、別論である。別論であるが、論理順序として、その勾留理由開示義務違反の判断は避けようもないはずである。開示義務違反の判断を回避できないなら、両説の何れが正解かを判断することも避けられないはずである。

・・ということを、このほど、上告理由に纏めて提出した。
さて最高裁がどう判断するか。こうでもしないと最高裁まで上がらない問題であり、いい加減、蹴りを付けて欲しいものだ。
「令状基本問題」の木谷論文は、現在時説を推す。現在時説の裁判官にあたれば現在の勾留理由の開示が受けられ、そうでない裁判官にあたれば、なんと罪名落ち前の勾留理由を教えて貰えるだけ。その中でも碌でもないのを引くと「現在の勾留理由は検討済みだけど教えてあげません」という子ども染みた嫌がらせを受ける。
これでは正常ではない。

(弁護士 金岡)