引き続き解錠問題ネタを。

日弁連の意見書(2019年10月15日)で紹介されていた、「刑事法廷における戒具の使用について(通知)」(1993年7月19日矯保1704矯正局長通知)を読んでみた。余談だが、この種の矯正局通知は、「矯正実務六法」に(全部かは知らないが)多く収録されており(刑事施設系の国賠をやるには必携であろう)、往時、面白そうなものを片っ端から読んでみたことがある・・が、今回の通知は全く記憶になく(収録はされていた)、下手をすると見向きもしなかった可能性が高い。

話を戻すと、同通知は、ある地裁が「傍聴人を一旦退廷させて解錠・装着」方式を実践したことに端を発して議論が生じ、(なんと)最高裁刑事局が「(裁判官の在廷を前提に)被告人の入廷直前又は退廷直後に法廷の出入口(法廷外)の所で解錠し、又は施錠させるという運用を一般化させることについての打診」を矯正局に行った、ことを受けてのものである。
「法廷外で」解錠・装着、という打診をしてしまったからかもしれないが、矯正局は難色を示し、結局、「特に戒具を施された被告人の姿を傍聴人の目に触れさせることを避けるべきであるという事情」のある事案限定で、傍聴人がいないところでの解錠・装着を原則とし、それ以外の解錠・装着の工夫をする場合には、前記法廷外の所での解錠・装着を含めた他の方法も取り得るという結論に落ち着いた模様である。

四半世紀も前に、このような議論が最高裁から打診されたという事情は興味深く、本欄でも取り上げた次第である。

なお、協議が整い、前同日、最高裁事務総局から各裁判所長に行われた通知もある。
同通知は、「戒具を施された姿を傍聴人にさらしたくないという被告人の心情を酌んでその要請を入れる場合でも」としているが、人権問題を単なる「心情」に貶めたのは頂けない。
それはともかく、同通知は、「傍聴人を一旦退廷させて解錠・装着」方式は「国民に対する裁判所の法廷運営の在り方という観点からみた場合、決して好ましいものとはいえない」として前記法廷外の所での解錠・装着方式を提案した経過を説明した上で、矯正局は開廷時・閉廷時の解錠・装着を前提としていることに言及し、結局、前記のような結論に落ち着いたことを説明している。
同通知を読んでも、晒さないことを一般化させてはどうか、という協議が、「特に戒具を施された被告人の姿を傍聴人の目に触れさせることを避けるべきであるという事情」のある事案限定に落ち着いてしまった理由は、謎である。
謎であるが、裁判所はやろうと思えばできる、と思っている節があるし、人権的理解は足りないとしても、配慮の必要性自体は認めている。

そして、可動式衝立が標準装備化している現在、法廷内に入れた後、傍聴人からの視線を衝立により遮りつつ、逃亡防止の観点から出入り口を施錠した前提で、同所で解錠・装着する、ということに統一しても、何ら差し支えないだろう。
矯正局は被告人席での解錠・装着にこだわっているようだが、当時のお白州席だろうと、現在の弁護人席だろうと、出入り口施錠後の衝立の陰だろうと、出入り口さえ遮断してしまえば実質的な差異があるとは認められない。(裁判官も目にするべきではない、という先鋭な問題意識は当然であるものの、まずは傍聴人問題を解決しようという視座からは、)衝立の陰が裁判官から見えれば足りるわけである。
あとは、裁判所の人権感覚だけの問題だと思われる。

(弁護士 金岡)