本欄本年6月1日付けで、「とある保釈取消請求事件」として事例を提供した。
なんの因果か、更に1件、事例を提供する。
6月の事件との手続の余りの落差に驚かされる。

1.寝耳に水の取消決定
いきなり裁判所から「保釈が取り消されました」との一報を受ける。
告知聴聞はない。
6月の事件は、意見を述べる機会が与えられていた。大きな落差である。必要的求意見でないからといって、合理的理由無く求意見しないことは咎められるべきではないか。

2.疎明資料が検討できない
疎明資料を謄写しようとすると、なにもないと言われる。
そんな馬鹿なと思ったが、「検察から記録を借り出して検討し、返しました」と。
不利益処分に関する疎明資料が検討できないという裁判があって良いのだろうか・・と思うが、よく考えると、勾留裁判はみんなそんなものか。しかし、起訴後の名実ともに当事者主義が支配する中で、保釈取消の根拠資料を検討できないのは余りにおかしい。6月の事件では、たっぷりの疎明資料を全て謄写し、じっくり検討できたので、落差は大きい。
なお、検察官の請求書中で援用されている「ライン」の現物を検討できない手続的瑕疵を強く主張したところ、準抗告審の決定では当該「ライン」については一切、言及されず、臭い物に蓋がされたことを付け足しておこう。

3.執行停止がされない
勾留請求却下や、保釈許可決定に対し、検察官が不服申立を行い、あわせて執行停止を求めると、ほぼ100%、執行停止が認容される。私が知る限り、執行停止を認めなかったのは、古田宜行弁護士担当の「取調べ同席要求に端を発した不当勾留事案」一件のみである。
このように、「釈放方向の裁判が間違っているかも知れないので、抗告審の結論が出るまで、捕まえておくべきだ」という、拘束方向の執行停止はほぼ100%の的中率を誇るといえるが、そこで今回は逆に、保釈取消決定の執行停止(抗告審の結論が出るまで収容しないこと)を求めた。
しかし、職権不発動と判断された。その判断から準抗告審の判断まで6時間余、「拘束方向の裁判が間違っているかも知れないので、抗告審の結論が出るまで、釈放しておくべきだ」という方向での配慮はされなかったことになる。
・・捕まえる方向はほぼ100%、他方で、釈放しておくべきだというのはそうではない。実に不思議な逆転現象ではある。

4.付言
保釈取消の執行停止を考えていて、ふと思ったのが、「勾留決定に対する準抗告に付随して、執行停止を申し立てることを、弁護人は何故、しないのか」ということである。これは、自分自身に向けても問うべき疑問である。
勾留決定に対し、誤った拘束裁判だから釈放せよと準抗告を申し立てる。その時に、結論が出るまでの間も続く、誤った拘束裁判を、執行停止せよと求めることは、寧ろ、素直な発想なのではないかと思う。何故これまで、このような取り組みが行われていないのか、そこから考え始めたいと思う。
勾留決定の執行を停止することは、要するに、勾留執行停止と同じ状況を作出するようなもので、刑訴法上、無理があるとは思われないのである。

(弁護士 金岡)