警察官が覚せい剤を飲ませた疑いが排斥できないとして無罪とした、と話題の名古屋地判2021年3月19日の要旨を読んだ。

被告人は、期間内の摂取自体を争い、期間内に摂取があるとしても、交際相手に飲まされたか、警察官から採尿前に提供されたお茶(粉で溶かすもの)が苦かったのでそこに覚せい剤が含まれていた可能性がある、強制採尿された尿がすり替えられた可能性がある、強制採尿手続あるいはそれに先立つ逮捕手続に違法がある、などと、要するになんでもありの主張を展開していたようである(なお、お茶が苦かったことに基づく「飲まされた」主張については、捜査段階に於いて、検出原因に思い当たることとして、お茶が苦かったことが挙げられているが、正式な主張としては第2回公判まで提出されなかったようである・・裁判所は、第1回公判における罪状認否は概括的なものだからと救済した)。

被告人に採尿を促すためにお茶を飲ませた警察官は、当初の証言で、被告人を特別扱いしたことはなく、現金も送付していないし、携帯電話を使わせたこともない、お茶に砂糖を混ぜたこともない、と証言していたが、二度目の尋問で、これらの偽証を認め(現金送付には被告人の兄の名前を冒用したとして、裁判所は犯罪行為と指弾している)、被告人に弱みを握られたのでこういった便宜供与をした、これを認めると証言が信用されなくなると思い偽証した、趣旨の主張をしたが、裁判所は一蹴し、重要部分で信用が損なわれたこと、従って客観証拠がなければ信用できないことを指摘した(他に、更なる変遷や状況矛盾も指摘されている)。
判決によれば、同警察官は、便宜供与を否定しがたい客観状況がある中で監察官から追及されて偽証を認めたという。自発性が欠けることから信用性を回復しないと判断されている。

覚せい剤混入の蓋然性については、「被疑者取調べの高度化及び適正化推進要綱」において、未開封を自ら開封させて飲ませること、とされているとのことである。(※1)
裁判所は、上記規定違反、また、警察官の混入させていないという証言に客観的裏付けがないこと(お茶を用意するところを録音録画していないことや、被告人から脅迫を受けたならメモを残すことは出来たのにそれをしていないこと等)等から、混入可能性を認めた。
検察官は、任意採尿を求めてから、くだんのお茶を提供して説得する時間経過において覚せい剤を用意する余裕はなかったと反論したが、裁判所は、以前から被告人が、薬物捜査に抵抗して逃走したりもしていること、本件逮捕のためにチェーンカッター等も用意されていることからすれば、「覚せい剤入りの飲料を摂取させなければならない展開に備えて」用意することは可能であった、と判示している。(※2)
また、検察官は、被告人の尿中覚せい剤濃度は濃い目であり、警察官が強制採尿に先立ち摂取させたとすれば、濃度が濃すぎる、また、被告人は薬理作用を感じてもいないと反論したが、裁判所は、量が少なかったのかも知れないし、経口摂取なら薬効が遅れるかもしれない、等として退けている。(※3)

なお、鑑定書自体の証拠能力はあっさり肯定されている。(※4)

(感想)

警察官が自爆した、という他ない案件である。最初から便宜供与等を認めた証言をしていれば展開は違っただろうから、自業自得としか言いようがない。
しかし、警察官が自爆しても、裁判所は真実を見抜けると言わんばかりに水掛け論部分で救済する裁判例が圧倒的多数の中で(類似の便宜供与事例で取り調べ自体は不適切と認定されるも、証拠排除には至らず信用性も肯定された裁判員裁判事案を思い出した)、警察官証言が崩れた以上はどうしようもない、という割り切りが出来ているだけ、上等な部類であろう。

また、前記※1の規則違反を重視していることも評価できる。
ほんの数年前の経験では、愛知県のN警察で「採尿尿器の使い回し」というとんでもないことが行われており、これを争点にしたことがあるが、裁判所は不問に付した、ということがある。これに比べて飛躍的な前進である(警察官の偽証や規則違反を嫌悪した裁判例とみるのが実相かも知れないが、そこは敢えて、鑑定資料の取扱いについて相当の弁えを要求した裁判例と読みたい)。

他方で、第三者的に論評する限り、判決の論理には、頷けないものも多く見受けられた。
代表格の一つは、鑑定書を証拠採用していることであろう(前記※4)。密かに覚せい剤を飲ませて尿鑑定に持ち込んだのなら、それが違法収集証拠でないはずはないのだが、あっさりと証拠採用されている。少々、というか全く以て度し難く、これすら排除できない裁判所の姿勢・感性のズレが怖い(専ら逮捕手続、鑑定手続それ自体を問題とした弁護人がそういう主張をしていなかったとしても、これは職権で判断する領域の筈だ)。

また、時間的に覚せい剤を仕込むのが難しいという検察官の反論に対し、前記※2のとおり、「覚せい剤入りの飲料を摂取させなければならない展開に備えて」と応じているのだが、判決文からそのような展開が有り得ることを読み取るのは簡単ではない。
持ち物に微量薬物があったり、事件の一月前には尿中から陽性反応がでている被告人が、薬物捜査に忌避的であり、その後の尿検査が陰性反応だったりして捕まえるのも難しい中、チェーンカッターまで用意するほど捕まえたい意思があったからといって、(うまく陽性反応が得られなかった場合に備えて)覚せい剤を用意するところまで行くのだろうか?そういう経験則が確立しているのだろうか。
尤も、警察官が自作自演で薬物を発見した可能性が認定された裁判例は複数、知られているので、裁判所も、そういう可能性は一応、無視できない(警察は、いざとなれば覚せい剤を用いた証拠の捏造くらい、やらかしかねない)と捉えている、と善解しておけば良いだろう。今回の裁判例が確定すれば、少なくとも捜査難航事案における、警察組織の薬物を用いた証拠の捏造の可能性は一般的に否定できないという経験則の根拠として援用できることになりそうだ。

あと、尿中成分濃度の議論(※3)は、似たような論点で控訴している事案もあり、興味深く読んだが、知られている文献に照らすと、あまり科学的な判示で無いことは確かである(方向性は間違いではないが)。
経験的に言えば、裁判所は、心証に沿うように科学を用いる傾向がある。普通に考えれば、科学に沿うように心証形成すべきなのだが、大概の裁判所はそこが逆転している。今回の判決も、科学的に吟味し尽くせば、言っていること(論理展開)はおかしい、と感じる。
このように、科学>心証を指向する立場からは相容れないが、尿中成分濃度からは余り確かな決め付けが出来ない、という結論は確かなので、そこだけを採れば方向性に間違いはなく、まあ是とすべきなのだろう。

なんにせよ、こういう裁判例は、読んで、思索を深める格好の素材である。
おかしなところも多いが、光るところもある。
実際がどうであれ、警察官が自爆してしまった以上、捜査機関を救済するのは理に適わない。それだけでもまずは嘉すべきことだ。

(弁護士 金岡)