例の問題について、高野隆弁護士が原審意見書+東京高裁決定を公開されていたので、早速、読んでみた。

まず、私の予測は、そもそもこれは処分ではないという理由の不適法で棄却するというものであったが(本欄本年10月1日付け)(その実質的根拠は、正面から使うなとも、使って良いとも、言いたくないので、有耶無耶に誤魔化すに違いないと思っているからである・・誤魔化しを許せないが為に国賠をやり、それでも必死で誤魔化してくるのが、裁判所というところだと経験している)、景山意見書の第一の主張は、そこではなく、そもそも抗告の対象となる裁判がないというものであり、東京高裁もこれに乗っている。
細かく法令を説明することは本題では無いので、掻い摘まんで感想を書くなら、東京高裁が認定したように整理手続期日開始前の出来事である前提だと、決定は裁判所の送達を以て告知する必要がある(規則34条)ので、そのような送達がないとなると、決定自体が存在しないと言うべきか、景山裁判長が適法な決定の送達を怠っているとみるべきか、何れかになるが、送達の利益を享受する側が送達を待たず決定の存在を前提とした不服申立を行うことは可能と解されるので、後者であることが明らかな本件では、適法な決定の送達がなかったことを理由に門前払いすることは誤判だと考えられる(なお、岐阜の神谷弁護士が取り組まれている、出頭前の被告人への身体検査処分に対する不服申立は、その場で決定書が量産されてくる~ということは予めprototypeが用意されていると言うことだが~ある種、異常な経験が出来る)。景山意見書では、他に求意見手続がなかったことも強調されているが、決定における求意見手続は個別の定めにより、必要的ではないため、やはり誤りである。
ただ、私の手続的理解としては、もし電源使用不許可処分に対し異議を申し立て棄却されたと言うことになると、これへの東京高裁への不服申立は適法に行えないのでは無いか、と思う。この場合、手続的には最高裁への特別抗告一本ではないか。ここを高野隆弁護士がどのように考えられたかは関心がある。

本題は、実体的な方面である。
景山意見書は、①検察官も電源は使わない、②公判期日においてデータ化された証拠内容をパソコンを使って表示するなど、公判期日での立証活動は、訴訟関係人全員のために行う正に公的な活動といえるから、そのために法廷電源を使用することは許される、として、正当性を強調する。
まず、①は、少なくとも個人的経験として、検察官も電源を使っているのを知っているので、ものを知らない人だなぁということになるが、ただその場面が②に類するものだという反論があるかも知れないので、さておく。
最も罪深いのは、無論②の方である。
「公判期日での立証活動は、訴訟関係人全員のために行う正に公的な活動といえる」が、公判前整理手続期日で必要に応じてパソコンを使うのはそうではない、という、この理屈。一体、弁護活動をなんだと思っているのだろうか。例えば整理手続で、「弁護人、検察官の××の意見書の点ですが」と振られれば、「ちょっと原文確認するので」とパソコンデータを開く、という遣り取りがあるだろう。整理手続を円滑に進めるために記録に当たる行為が「正に公的な活動」ではない、という。・・そうなると、裁判官が書記官を使役して整理手続に記録を運び込ませたり、期日の録音を取ったりするのも、訴訟関係人全員のためでは無いから、「正に公的な活動」ではなく、お役所の私的な行為ということになるのだが、景山裁判官はそこまで考えて発言しているのだろうか。
また、「公判期日においてデータ化された証拠内容をパソコンを使って表示」するのは「正に公的」だとして、反対尋問のためにメモを取るのはどうだろうか。少なくとも検察官のためで無いことは確かだから、ここでは電源を切られるのだろうか。真面目に議論していて恥ずかしくなる。

結論、東京高裁の門前払い自体は予測のうちだが、景山意見書が世に出たことは、意義深いことである。俗に、頭のネジが何本か・・といった言い回しがあるが、正にそれである。
こういう感性、根性の裁判官の裁判を受けたいという奇特な方は、そういないだろう。

(弁護士 金岡)