以前にも本欄で書いたことがあるが、時々、裁判書を原審の裁判官に送付したり、ということをやっている。裁判所内部の仕組みには疎いが、上で破棄された判決を必ずしも原審の裁判官が見るとは限らないと思うし、反省機会の乏しい職業とお見受けするので、後学のためにどうぞ、という訳である。

今回、保釈不許可を追認した準抗告審(当初決定)に対し、その後3ヶ月半後の許可決定を追認した抗告審決定(本件決定)を送付した。私の基準によれば、当初決定は独善的な記録の読み方をし、誤判を来したものであり、そのことは事後的に実証されたと考えたからだ。
簡単に言えば、当初決定は、「検察官の立証に当たっては、現状、人的証拠もその柱の1つとなり得る」として4号事由を強調した。しかし、その後の数次の保釈請求においても、結局、検察官から、罪証隠滅対象となり得る、このような「人的証拠」は特定されないままであり、「人的証拠もその柱の1つとなり得る」とした当初決定の独善性が際立った。(検察官の証拠開示が遅々として進まず証拠構造の議論は停滞したが漸く)起訴後3ヶ月で一応の証拠意見を出した段階で、このような「人的証拠」(同意できず尋問に進む類)がなかったことが確定し、第1回公判後直ちに保釈が認容された(本件決定)。
当初決定審からすれば結果論に過ぎないと言いたくなるかも知れないが、少なくとも弁護人はこれを見透かしていた。そうであれば間違っていたのは裁判所の方である。証拠意見を述べない限り裁判所が罪証隠滅を幅広く認定してくることは今に始まったことではないが、証拠開示が受けられず、従って上記の「人的証拠」がないことを実証し得ない弁護人に対し、裁判所が一方的に、検察官すら主張しない証拠構造を勝手に分析し、以て4号事由を強調するというのは随分な話ではないか・・と。

大きな話を言えば、保釈裁判に、名実ともに対審構造を導入すべきである。今回の場合で言えば、弁護人の見立てと異なり、ある特定の「人的証拠」に対する証拠意見が保釈判断を左右すると裁判所が考えたのであれば、当該「人的証拠」を弁護人に開示し、検討を求めて良いはずである。
これは現在の水準からすれば極論かも知れないが、よくよく考えてみると、保釈判断を左右する程の重要性のある人的証拠であるなら、必ずや検察官立証に用いられ、従って早晩、弁護人に開示されることになる。起訴後であるから捜査の秘密を強調することは筋違いであるし、その点をさておいても、早晩、弁護人に開示される人的証拠であるなら、保釈裁判に於いて弁護人に示して悪かろう筈はない。この理屈を否定する論拠は思い当たらない。

長々と書いたが、今回の誤判に対しては、上記のように思考を巡らした結果、第一に、裁判所が独善的な証拠構造分析をしたことの問題性、更に進んで、第二に、そのことについて弁護人に防御機会を与えなかった問題性がある、と結論した。付け足せば、検察官の証拠開示が遅れているときに、そうであるが故に実証的な反証の出来ない弁護人の主張を排斥することは慎重であるべきではないか・・とも考えられる。

以上のような問題意識を、是非、誤判を来した当初決定審にもお伝えし、その後の顛末も踏まえて、なにをどう間違ったのか、反省会でも開いておいて欲しいと考えた結果、各決定を送付することにしたものである。
以下は、その手紙の抜粋である。貶めたり非難したりする目的ではなく、建設的な意見交換の代わりになれば良いと思う次第。

(抜粋)
次の点を、今後の執務の参考にして頂きたい。
(1)貴職らが、検察官が特段特定していない中で、「柱の1つとなり得る」「人的証拠」を認定したことは、独断に過ぎ、また当事者主義に照らし行き過ぎではなかったか。
(2)少なくとも、一定の弁護方針(見通し)の下に証拠構造を解析した当職の申立理由に対し、これを否定する「柱の1つとなり得る」「人的証拠」の尋問可能性を認定するのであれば、当職にそれを示唆し、尋問に至る可能性や、同人に関する罪証隠滅の蓋然性について、反論の機会を与えるべきではなかったか。
(3)その後の経過に鑑みれば、「柱の1つとなり得る」「人的証拠」の認定を踏まえて4号事由を評価したことは結果として(言いがかりに等しい)誤判であり、これにより釈放が実に3ヶ月以上、遅延したことは、裁判所として謙虚に受け止めるべきではないか。
(4)弁護人が証拠開示を受ける前の段階に於いて、一方的に不利益に踏み込んで証拠構造を認定することは、いわば反論しようのない不利益認定により身体拘束を継続してしまう危険があるため、抑制的であるべきではないか。
本件において現にそうであったかもしれないように、貴職らが想定した「柱の1つとなり得る」「人的証拠」について、弁護方針上、供述録取書等を同意見込みである可能性を想起頂きたい。

(弁護士 金岡)