少々、コラム更新に時間が空いたが、親族の接見等禁止について、続きを書いてみたい。

年末1勝3敗と書いた。

うち「1勝」は、少々重大事件であるが、共犯者ABへ働き掛け、通謀が親族を介して行われるかも知れないとして接見等禁止を付されていたところ、共犯者Aが死亡し、働き掛ける余地がなくなったため、準抗告が認められたものである(名古屋地裁刑事4部、景山裁判長ほか)。弁護人においては、A死亡の他、Bの主張は被告人にとり不利益ではないから、働き掛ける対象ではない、と主張したものであり、この点にも一定の理解が得られたのではなかろうか、と思われる。
なお、職権発動による解除申立を先行させたが(その理由は別のコラムで書きたい)、不発動と判断されている。

「3敗」のうちの1つは、捜査段階の事案である。
薬物使用者に密売人を紹介したとして、共同正犯として逮捕された被疑者の、他県に住まう配偶者、親との接見等禁止が問題となった。
裁判所の理屈は、被疑者が否認し黙秘していること、親族との関係性や連絡状況、密売人が特定されておらず事案の全容解明がなされていないことから、親族との面会等を許すことも罪証隠滅の高度のおそれがある、というものであった(名古屋地裁刑事5部、西山志帆裁判長ほか)。
問題に思うのは、「事案の全容解明がなされていない」という常套句である。裁判所の頭の中は、おそらく、「被疑者は色々と知っているに違いない。しかし否認し黙秘している。ということは、全容解明を阻みつつ、裏での工作を狙っているに違いない。親族にこれを加担させる高度のおそれがある。」と、こういう感じなのだろうか。
しかし、本当にそのような「全容」があるのか、確かなことは言えないはずだ。なにしろ自ら、「事案の全容解明がなされていない」というのだから、捜査機関の見立てが誤りで、結局、解明すべき「全容」がないかもしれない。解明すべき「全容」がないなら、それを妨げる裏工作も存在し得ない筋合いである。とすれば裁判所は、捜査機関ですら解明できていない「全容」があると決めつけていることになるが、これほどまでに不確か、不安定な裁判もそうそうないのではないか、と感じる。
ある「かもしれない」全容に対し、被疑者がその解明を阻止しようとしている「かもしれず」、その一環として親族に協力を求める「かもしれず」、親族がそれに応じる「かもしれず」、その場合、それが功を奏して起訴すべき事案が起訴できなくなってしまう「かもしれない」・・いつぞや、本欄で「かもしれない」の三乗を批判したが(http://www.kanaoka-law.com/archives/295)もうそれどころの騒ぎではない。

後日談であるが、この事件は、準抗告棄却から8日後(準抗告棄却が12月28日だから、年末年始にかかるその後の1週間でどれほどの捜査が積み重ねられたとも思われない)、嫌疑不十分で不起訴となった。処分保留でないところを見ると、解明すべき「全容」など、結局、なかったということかもしれない。司法的には、そういう結論になったわけである。
ありもしない「全容」解明阻止の疑いで親族と会うことが叶わなかった、被疑者の境遇は、悲惨と言えよう。
接見等禁止を請求した検察官も、これを認めた裁判官も、準抗告を認めなかった裁判体も、猛省すべきであるが・・彼らは国賠法上、厳重に保護されており(つい先日、誤認逮捕案件で無罪確定しながら国賠請求は棄却された大阪地裁判決が報じられ(平成29年1月13日付け各紙)、裁判官に至っては、令状請求した検察官が違法判断を受けてもなお救済される有様である(大阪地裁平成27年3月16日判決))、責任を追及されようとすることすら、稀である。裁判官、裁判体は、本件被疑者が嫌疑不十分とされたこと自体、知らぬままに一生を終えるのだろうと考えると、なんとも虚しく、過剰な接見等禁止が一向に改善しないのも宜なるかなである(その3に続く)。

(弁護士 金岡)