釈放を求める裁判の時、しばしば裁判官との面談を求める。
裁判所側は余り意味も無いと思っているようだが、弁護人の立場からは(もちろん書面により意を尽くすべきことは勿論であるが)裁判所の問題関心を探り、建設的に意見交換をし、足らざるところがあれば補いたいと思うものだ(それに、懸河の弁をふるえば、裁判官が「ああなるほど」と考え方を変える瞬間に立ち会えるかも知れない)。

余り意味も無いと思っている向きは、「書面は読みました」「他に何かあればお聞きしたい」「では今うかがった内容も踏まえて判断したいと思います」、だけで面談が終わる。なにか講習でもやっているのではないかと思いたくなるほど、多数(特に左陪席くらいの若手)がこうだ(尤も、こうそっけないから結果が悪いと言うほど明確な相関関係はない)。
とはいえ中には少数ながら、あれこれ質問をしてきたり、問題点を指摘して意見を求めてきたりする裁判官もいる。良かれ悪しかれ、関心を持って貰えることは好機と捉えて損はなかろう(中には、単におしゃべり好き、噂話好きなだけという方もおられるが)。先輩裁判官の姿勢を見ながら成長されるのだろうから、やはり面談に対する意識も、少数ながらに受け継がれていく流派というのがあるのかも知れない。

先日の保釈時の裁判官が、まさに後者だった。
往々にして強気に出る私の感覚からしても、運があればぎりぎりのところで保釈がとおるだろうという微妙な事案だっただけに、裁判官も率直に悩みを見せ、そこを捉えて弁護人なりの回答を書面を深める形で提示し、それはそれで分かるけども・・といった感じで推移した。
結果が良かったから言うわけではないが、こうやって議論が出来ること自体が、その事案への的確な掘り下げを可能にし、ともすると易きに流れがちな事務仕事から裁判官を引っ張り出せるのだと思う。
証拠開示の鳥羽口にだったばかりの否認事件であり、関係証人候補も多数の事案だが、とある事情により検察官も強気に出られず日和る運も作用し、保釈が許可され、久方ぶりに抗告もなく確定したのは何よりだった。

(弁護士 金岡)