(おことわり)

本欄は、刑事事件や行政事件の実務に関心のある層が主な閲覧者と思うが、こちらもそのつもりで、弁護実践により得た知見等を積極的に公表し、また、意見交換のとっかかりとなるよう努めている。
これから連載する「愛知県弁護士会の凋落~処置請求事件を巡って」も、本質は刑事弁護の精神の在り方にまで遡り、弁護技術論も伴い、そういった関心に応えられるものではあると思う。そして、愛知県弁護士会刑事弁護委員会の舟橋直昭委員長の暴走、これに対し、私側の弁護士陣に奮闘頂き、刑事弁護委員会も地力を発揮して押し返していった経過、それにもかかわらず池田桂子会長がこれを更に覆し、凡そ在野法曹の名折れと言うべき異常な判断をしてしまったこと等の一連の経過は、ことの当否を含め、広く知られ、(他山の石として)論じられるべきと考える。

・・のではあるが、なにしろ自身が渦中の当事者であり、自身の経験事実に基づけば明らかに冤罪要素があること、舟橋直昭委員長をはじめとする一部の体たらくには悲憤慷慨を禁じ得ないこと等から、淡々と叙述するには限界があるかもしれない。
そこで予め「あらすじ」を掲げ、中身を読み進めたいかどうかに、特に注意を喚起しておくこととする。

(あらすじ)

本欄平成29年3月22日で、期日変更を請求するも却下され、直前に新証拠が提出される等していたのに反対尋問まで進むと宣言されたので、やむなく辞任し、退席しようとすると在席命令を出され、しかし裁判官からはその有効性について「お考えになったとおりで結構」と言われたので無効だと判断して退席した、という案件を報告した。
後日談として、直後、裁判所からは、在席命令違反に基づく過料決定及び、過料決定に伴う必要的処置請求が飛んできた。後に判明したところでは、裁判所は、濫用的辞任であり少なくとも整理手続終了までは辞任は無効であるという理屈でもって、上記のように処理したということである。

愛知県弁護士会刑事弁護委員会内に設置された調査部会は、驚いたことに、「期日変更却下への異議や忌避申立などの手段を尽くすべきだったという助言を行うべき」という処置相当意見の報告書案を提出した(磯貝隆博弁護士、岩井羊一弁護士、神谷明文弁護士、黒岩千晶弁護士、鈴木典行弁護士、永井敦史弁護士(五十音順))。
これに対し、刑事弁護委員会の臨時会議(第1回)では8割以上が反対して続行となり、このことに危機感を持った私は、文字通り、刑事弁護の技術、精神を説いて回った。数名の実力ある刑事弁護士に代理を依頼し、更に全国的に知らぬものとてない刑事弁護士の意見書も用意し、議論と対話を重ねた。

このような防御活動に対しては、圧力もあった。舟橋直昭委員長は、私の代理人弁護士を通じ、「反省」すれば処置不相当に変更すると持ちかける専横を行った(どうして一介の委員長が調査部会の報告書の結論を変更できるのだろうか?)。更に、弁護士会の理事者は私の代理人弁護士に対し、代理人を続けることによる不利益を仄めかして辞任させようと画策した。

かような経過を経て開かれた第2回会議では、より多くの委員が集まった(私側から盛大に出席を呼びかけた)。冒頭から、議長を務める舟橋直昭委員長が、私の辞任による対抗を批判するプレゼンテーションを行ったが、委員の大半が、処置はおかしい、裁判所の訴訟指揮こそ問題があると論じ、調査部会の報告書案は結論を処置不相当に変更するまでに追い込まれていた。
刑事弁護委員会は、更に粘り強く、裁判所の訴訟指揮こそ非難されるべきだとして、逆に裁判所に勧告意見を付すよう、論じ、ついに圧倒的多数でもって勧告意見を付すべき事が決議された。
つまり、刑事弁護委員会は、その総意として、処置は不相当であり、裁判所の訴訟指揮が非難されるべきことを決議したのである。

ところが、刑事弁護委員会の意見を受けた池田桂子会長は、処置不相当の結論は維持したが、裁判所への勧告意見は付さないという判断をした。
この判断は、常議員会で報告されたが、それによると、「刑事弁護委員会は勧告意見を付すべき理由を説明していない」「制度上、勧告意見を付するかどうかについては刑事弁護委員会の意見を尊重する必要はない」「反対尋問はきちんと実施できている」「対象弁護士に謙抑的である以上、裁判所にも謙抑的であるべき」等と説明された(なお、常議員会での説明に先立ち、刑事弁護委員会の正副会議で担当理事者から説明された内容には、以上に加え、「係属中の刑事事件での報復的不利益を懸念した」というものも加えられていた)。

以上が概要である。
より詳しくは、各論的に続く本欄を御覧頂きたい。
細かく見ていくと、刑事弁護委員会は、最低限の地力を発揮したが、そこに至るまでの道のりや、また、その間の経過、その後の「反省」状況に照らすと、私は、合格点は与えられない、と考えた。もとより、舟橋直昭委員長や調査部会の面々とは、およそ共に事をなすには足りないものである。そこで、例の「準抗告事例集」を置き土産(意図したわけではないが)に、15年近く在籍した刑事弁護委員を辞任した(正確には辞任後に完成したのだが)。誰彼を道連れにしたいとは思わなかったが、名のある刑事弁護士ら複数名が、やはり刑事弁護委員会を見限り委員を辞任すると仰っているのを聞くと、取り返しのつかない禍根を残したことだと実感する。

(弁護士 金岡)