藤井敏明元裁判官による「『罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由』について」(日大の法務研究第22号所収)が俄かに注目を集めている。
既に3月に高名な刑事弁護士である秋田弁護士が御自身のウェブサイトで紹介されており、その際にも読みはしたが、特に目新しい記述とも思わずそのままにしていた。今回、毎日新聞が「大川原事件 保釈せず『誤り』」の大見出し藤井氏へのインタビュー記事を大きく掲載し、方々で取り沙汰されているので、本欄でも取り上げてみる。

例えば、身体拘束の錦の御旗と化している「働きかけの可能性」について。
同論文は、不当な働きかけの可能性×偽証の可能性×裁判官が判断を誤る可能性、という多段階にわたる「それぞれの乏しい可能性を掛け合わせ」がどれほどのものか、と投げかけるのであるが・・・それを今更、言うのか、という思いしかしない。
この程度のことは、1~2年、真面目に刑事弁護をやるだけで思い至る話である。本欄でも何度か書いているはずだ(ぱっと検索したら2020年5月31日の記事があった)。

また例えば、裁量保釈の必要性について。
同論文は、裁判官は本件各事件(プレサンス、大川原)を教訓として、保釈を不許可にすると被告人が普通の社会生活を送ることができず築き上げた企業を手放さなければならなくなること、また自分が希望する医療を受けられなくなる可能性があることなどを適切に考慮しなければならないと指摘する。
これもまた、異論はないのだけれども、やはり今更言うのか?という話である。
というか、こういうことに思いが及ばない裁判官がいるとすれば、常識と人間性が欠如し、まともな裁判はできないだろうし、遠慮なく言えば社会不適合な存在だろう。(残念ながら相当数、お見掛けするのが事実ではある)

このように、本論文は、当たり前のことしか書いていない。
本論文が注目を集めるとすれば、結局、当の裁判所出身者がそれを言った、ということに尽きるだろう。私が同じことを言うより、衝撃度が大きいことは確かだ。

強いて付け足すなら、「90条の裁量保釈についての裁判官の解釈、適用を、比例原則を踏まえた、憲法34条に適合したものに改めることができれば」というくだり(論文32頁)には苦笑させられた。
元裁判官から、比例原則や憲法34条に適合していないと指摘される裁判所・・社会不適合を超えて違憲の組織だと言われているに等しい。個々の裁判官の受け止めが見ものである。

(弁護士 金岡)