原審懲役5年(主要罪名は不同意性交)。
控訴保釈を地裁が却下。
抗告を高刑2部が棄却。
そこで弁護人が交代して私が受任した。
一月ほど方針策定や環境調整に時間を使い満を持しての保釈申立。
保釈許可(高刑1部)。
検察異議棄却(高刑2部)。

ざっと、こんな経過の事案である。
結論だけを見れば、一月の間に事情変更を作り保釈環境を整え、懲役5年による逃亡論を封じ込めたのだから、まあ大したものだとは言えるだろう(気が向いたら受訴裁判所による許可決定理由を紹介しようとも思う)。

尤も本稿は、標題にあるとおり、裁判所を手放しで褒める記事ではない。
実際真逆であり、異議審(高刑2部)の審理の有り様を批判するものである。

顛末はこうである。
原決定は正午ころ。午後2時過ぎには検察の異議の動きがあった。身元引受人が遠方から2時間以上をかけて被告人を迎えに来ることもあり、なんとしても今日中に「検察の申立理由&原裁判所の意見」を謄写し意見書を出し、結論を得ようと待ち構えるも、連絡がなく、漸く午後4時50分に出揃った・・時には既に謄写部がしまっており謄写は出来ないという事態になっていた。
私は裁判所から1時間ほど離れたところにいたので、例の如くファクス送付を要望したが、裁判所はこれを拒否。「本日中に判断予定」と言いつつ、こちらには関係記録を迅速に閲覧する方法が無く、「閲覧しないままに判断されては困るが明日送りも拒否する」とする弁護側と押し問答となった。
結局、私が他の予定を取り消して1時間かけ、裁判所に戻って接写することにした(これに対しても書記官から「閉庁・・」という難色を示されたが、黙殺した)が、裁判所は早々と「意見書を出すなら明日に送る」と繰り返す。「結論として、そこまでの意見を出すまでもない場合もあるのだから、軽々に明日送りにするな」と口論しつつ、18時30分に接写、19時10分に所要の意見を出し終え(検察官の不服申立理由が原審意見と一字一句同じであったことは幸いであったが、原裁判所の意見は1頁超の一応それなりのものであった)、30分後に異議棄却、依頼者が釈放されたのは21時ころであった。

このように、「時間外でも直ちに閲覧に来なければ明日送り」「意見書を出すなら明日送り」と、権力を振りかざして、手厚い手続保障と迅速な保釈裁判の二者択一を迫る裁判所の遣り口は、果たして正常だろうか。書記官や裁判官が早く帰宅したい、という要請は、残念ながら、上記の憲法的要請の前には劣位させざるを得ない。
午後4時50分の時点で「本日中に判断予定」というからには、異議を棄却する腹だったことはそれなりに見え透いていただけに、尚更に腹が立つ。「本当なら今日、釈放できるが、手続保障を求めるなら釈放は明日だ」と迫ることが、適正手続保障の名に恥じないだろうか。
比例原則に基づき、身体拘束は必要最小限度でなければならないのだから、手続保障を要求するなら釈放を遅らせて良いという発想自体が、反憲法的である。

今回の保釈論争は私が制した。それは私の技術(構想力)もあろうし、裁判所がきちんとした判断能力を持っていると言うこともあるのかもしれない(今回の高刑2部が、先日、逃亡を疑うべき相当の理由の評価を巡り高刑1部の判断を取り消したことも本欄で紹介した)。
しかし、根本的なところで、手続保障と迅速な保釈裁判の両立を目指さず(ファクス送付すれば全て解決しただろ?と思う)、どちらかしか選べないと強権的に振る舞うことは、心得違いも甚だしい。こういう基本的なところで心得違いしていると、いつか大きな誤りを犯すだろう。基本が出来ていない以上、公権力を預けることは相当でない。
今回の審理の有り様は、かの藤井論文よろしく改めて、裁判所が、帰宅>保釈裁判、という姿勢でおり、保釈裁判を軽視している疑いがあること、少なくとも、万難を排して手厚い手続保障の下に迅速な裁判を実現するという気概を持たないこと、従って憲法的感覚に欠けていることを思わせた。結論を持って良しとは出来ない。

(弁護士 金岡)