先日、毎日新聞が以下のような記事を掲載した。
「東京地裁が2024年から、被告の保釈判断について、複数の裁判官で当番制としていた運用を一部変更し、複雑で長期化が見込まれる事件では担当裁判官を固定する取り組みを始めたことが関係者への取材で判明した。同じ被告からの保釈請求が複数回に及ぶようなケースで、一人の裁判官が事情の変化を継続的に把握し、勾留が不当に長引かないよう適正な判断を確保する狙いがある。」(2025年5月26日付け)
まさか裁判所が「勾留が不当に長引いて適正を欠いたことを反省しています」と言うはずはないので、上記は裁判所の公式見解ではなく、誰かの意見なのだろうが、果たして担当裁判官を固定化することで保釈の判断が適正化するだろうか。
私は、「明らかに改悪」だと思う。
保釈担当裁判官が固定化されたため、「梃子でも保釈を認めない」頑なな対応をされた問題事例があることは、以下の記事等で報告した。
https://www.kanaoka-law.com/archives/1621
ここで私が示した評価は、「可能な限り白紙の心証の裁判体に配点するのではなく、既に記録を読み込んで先入観を持っている裁判体に配点する仕組み」というものである。
わざわざ指摘するまでもないが、保釈請求が繰り返されると言うことは、保釈が出ていないと言うことである。
保釈を出さなかった裁判官は、当然、少なくとも前回保釈請求時に何かしらの否定的心証を形成しているわけであり、そのような否定的心証を持っている裁判官にわざわざ配点してほしいと思う当事者がいるだろうか?
機械ならぬ裁判官はどうしても自身の印象に囚われるし、少なくとも迷ったときに従前の否定的心証が顔を出す危険は高い。従前の心証に囚われず、虚心に事情変更を見極めることがどれほど期待できるだろうか。
このように見れば、前回否定派の裁判官に配点することは、その裁判官が予断に囚われず虚心に事情変更を見極める能力があるという、正しく人間業ではない裁判が可能なことを前提にしなければ、適正な保釈裁判を期せないことになる。
そしてもし、誰もがこのような(良い意味で)非人間的裁判官として神業を行使できるなら、わざわざ担当裁判官を固定化しなくても保釈裁判は常に適正になる。
従って、保釈担当裁判官の固定化に、保釈裁判を適正化する意味はなく、繰り返し却下決定が量産される危険だけが高まる、と言わなければならない。
仮に良い裁判官と悪い裁判官がいるとして、「ランダム配点」なら、2回目、3回目には良い方に判断して貰える(1回目で良い方を引き当てれば、その時点で保釈される)可能性が高まるから救いがある。逆に固定化は、第1回公判までずっと悪い方に当たり続けるという救いのない生き地獄である。
保釈担当裁判官の固定化は、あるいは、事件記録を検討済みの裁判官に引き続き担当させた方が記録の検討に時間がかからないという意味で、迅速化には繋がるだろうか。
しかし既述の通り、否定派の裁判官が迅速に結論を出すというのは、つまり否定的な結論になる可能性が高かろう。どこまでいっても当事者は救われないし、納得も得られまい。
適正な裁判とは、予断偏見に囚われないことを前提に、迅速な裁判であろう。
否定派裁判官への固定化はこれに逆行する。迅速な裁判は、本欄でかねてから指摘しているとおり、裁判官の増員、夜間当番制などによって実現すべきである。働き方改革とかQOLとかは、国家権力を行使している側が人権侵害を差し置いて口にすべきことではない。
結論、これは適正手続保障に反し、憲法違反であると考える。
(弁護士 金岡)