最近、積ん読を免れて斜め読み出来た書籍として、「神山啓史流あきらめない弁護術」と「勾留理由開示を活かす」がある。
本稿は後者について取り上げる。

本欄を「勾留理由開示」で検索すると、「鑑定理由開示」と「現在時説による国賠」の二つの記事が出てくるが、それ以外に勾留理由開示手続に関する記述はない。なるほど同書が痛いところを突いているように、私自身、近似の活用事例に乏しいようである。

尤も、これは私が勾留理由開示を活用してこなかった、というわけではない。
今も記憶に残る案件として、「現住建造物爆破」の故意否認(自殺のために爆破したのか、ガスが充満していることに気付かず引火させたのかが争点)の捜査弁護で、勾留理由開示を申し立て、直後に狙い澄ました勾留延長準抗告を行い即日釈放に漕ぎ着けた事案がある。担当裁判官は、2号事由について、「このような証拠は既に捜査済みではないのか」という具体的な質問に、「はい・いいえ」程度の応答はし、その結果、せいぜい近しい関係者(親族)にかかる罪証隠滅程度しか想定されていないことが分かり、じゃあ延長はいらないでしょ、という流れに繋げることが出来たのは理論的実践的な成果である。
確か、この時の手続調書はその後、某弁護士会が「模擬・勾留理由開示公判」をやりたいというので丸ごと事例として提供し、御活用頂いた記憶である。

これ以外にも、やはり不当な身体拘束からの解放に繋げる布石としての活用事例は複数あるし(「保釈90」でも勾留理由開示を挟んで保釈に結実させる弁護実践を取り上げている)、それ以外に良く言われることとして、証拠保全的活用は相当多く、接見等禁止への対抗にも多くを活用「した」。
とはいえ、捜査弁護技術の進展に伴い、証拠保全的活用や接見等禁止への対抗への必要性はかなり薄れ、身体拘束からの解放に繋げる布石としても、言ってしまえばわざわざ勾留理由開示でなければ獲得できないものがあるのか?(裁判官の言質は魅力的だが不可欠かと言われると・・・)という感じで、やらなくなっていったのだろうと思われる。

ということで、今回の書籍には自戒も込みで期するところあって手に取ったわけだが、第一に勾留理由開示の活用目的は、捜査弁護の可視化、依頼者のエンパワメント、早期釈放への布石ということが指摘されている。これらについては既に言い古されていることである(早期釈放への布石との関係で、脚注に私の2017年の論文が引用されていたのには少々驚いた)。従前の証拠保全的活用を主体的な刑事弁護と評価替えしている点や、自由闊達な公判のあり方を指摘している点は現代風だが、ともかく新しい活用方法を見いだしたという程ではなさそうである。
第二に、「やることに意義がある」という思想が根底にあるように見受けられた(「何らかの利用価値を見出して使ってみるのが弁護人」同書49頁)。まあ言いたいことは分かる(好みの考え方ではないけれども)。しかし、このような立場から、「事前準備は特に不要」と提唱されていること(同書34頁)には全く賛同できない。明確な目的があれば、それに向けた準備が全てなのではないだろうか。

とまあ、同書の技術的内容そのものは、さほど目新しさがなく肯定的には評価していないが、だからといって本書に価値がないとは思わない。
寧ろ、この時代にこの本が登場したことには十分な意義があると思う。

勾留理由開示が不活発であることが憲法の理想とほど遠いことは間違いない。使っているうちに新たな道が開けるかは抽象論の域を出ないが、少なくとも、勾留理由開示を活用することで求釈明攻めされた若い裁判官が「こんな紋切り型の態度では自分は憲法に忠実とは言えないのではないか」という自覚に目覚め、そのような反省を迫ることが、よりよい勾留裁判や刑事裁判手続に繋がることは、夢物語ではあるまい。
結局は人を育て、人を得なければ始まらないのだから、弁護人と裁判官が身体拘束に関して議論し合う場として勾留理由開示手続を捉えると、その活性化は、今までになく刑事裁判手続に厳しい目が向けられている現代において必然だと思われる。
技術書としては物足りないが、この精神は「買い」である。

(弁護士 金岡)