日本評論社「刑罰制度改革の前に考えておくべきこと」を読んでいて、次の一文に遭遇した。未決拘禁者の喫煙の自由を法律上の根拠なく制限することを許容した最大判1970年9月16日を批判したくだりであるが、「問題は喫煙の自由の価値の高低ではなく、一般社会で許容されている行いを刑事施設内であるという理由で禁止することの当否である」と指弾する(同所88頁、本庄論文)。
喫煙の自由はそこまで価値が高くないので、なんとか認める方向に持って行く必要はなく、施設管理を優越させて良いというのは正に思考停止であり、根本から発想の方向を誤っている、あるべき発想の方向性は、一般社会で可能なことは可能な限り同様に認めるべきだという趣旨に読んだが、非常に得心のいく記述である。
それでふと思い出したのが、以前、相談は受けたが訴訟に至らなかった、被収容者が子どもをもうける権利の案件である。被収容者(男性)の配偶者(女性)の出産適齢期を逃す前に妊娠したいという希望であったが、保釈は難しい事案であり、性交渉機会を持つための勾留執行停止も認められず、拘置所からの精液の宅下げも拒否された。
しかし、被収容者だからといって子をもうける権利が制限される謂れはないし、刑事施設内に宿泊可能な面会室を設けるなり(海外にはあるそうだ)なんなり、そうしないなら一時外出を認める、宅下げを認める(少なくとも精液であれば、清潔な容器と温度管理で可能であろう)、等など、幾らでも手段がありそうである。
調べた範囲では、こういったことが問題となった事案はなかったようだが(当時)、今回の本庄論文もみるにつけ、問題化していない方が不思議である。
権利性を認めるのか、制度としては検討に値する止まりなのか、それも難しい問題には違いないが、一般社会で許容されているものを禁じるには、制度趣旨に反するか、そうでなければ実現不可能かでなければならないという視点を踏まえ、「施設管理上」などという思考停止ではなく、鋭敏に対峙していく必要があると思われた。
(弁護士 金岡)

















